木曜荘

ものかきの日記

2022/08/05

今日は曇り空で、終日涼しく働くことができた。汗はもちろんかいたけれど、汗をかけば涼しくなる。とても働きやすい。週末なので、明日もこんな感じが続けば嬉しいところだが、どうなるやら。

明日の現場は横浜の予定なので、今日はいつもより早く眠りたい(なんかこんなことばかり毎日書いているな…可笑しいけれど、それだけ睡眠を大事にしているということか)。

睡眠の質が翌日一日の質に直結すると思っているし、少なくともぼくの人生においてはそうだった。二十代後半まで、ほんとうに睡眠というものには徹底的に困らされてきた。睡眠薬を常用するようになってからもそれはうまく機能せず、数年間の訓練が要った。いまだって、完全にコントロールできているとは言い難い。

酒の席にもよほどのことがなければ参加しないし、夜遊びもほとんどしない。翌日、翌々日まで、とてつもなく影響してしまうから、ぼくの場合。そうやって管理していくしかないのだ。

とはいえ、基本的に誘われれば行くのだけど。深酔いはしないようにしている。乾杯の麦酒一杯で済めばいっとうよいのだけど、瓶だと注がれてしまうのはあれだよね…。という話をするのは、十日に手伝い先の会社の飲み会に参加するから。仕事関係の呑み会は数年ぶり。あまりよい思い出もないが、今付き合っている会社は本当に気持ちのいい青年ばかりなので、たぶん楽しめることだろう。

 

どうでもいい話はその程度にして…。

You Tubeにて、拙作を紹介してくださっている動画があるので⇩ぜひ観てほしい。こういうのは本当に励みになります。とてもありがたいことです。感謝です。

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2022/08/04

今朝、現場に向かう車中で雨が降っていた。その後もいつ雨が降るかわからないので、朝からヤッケを着て作業してたが、結局帰宅するまで雨は降らなかった。午前中でヤッケは脱いだが、雨に濡れた程度には汗で濡れた。まあ、いつものことだ。汗か雨か、なのだ。

元気に仕事に行って無事帰ってこれる現状に満足したい。たとえそれ以上のことをする気力が残っていない日々だとしても、元気に働けているなら、ひとまずは充分だ。今日も仕事で精一杯で、読んだり書いたりできない。蒲団に横になってぼんやりときを過ごしている。

最近は↓これを聴いてるうちに眠っていることが多い。天使の歌声である。

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2022/08/03

今日も例の「池に落ちちゃったひと」になって帰宅。明日は雨らしいが、雨でも晴れでも、ずぶ濡れになることにはかわりない。少ない人数で現場を終わらせたので、もうくたくた。

昼休み、大量の水分と、ほんのちょっとのご飯を食べた。梅干しと白米をなんとか飲み込み、車の冷房で体温を下げる。氷をかじる。昨日と同じ場所、今日も烏が多い。嘴をあけているのは暑さのためだろうか。その嘴で蝉をついばむ。烏は蝉も食べるのか、となんだか意外に思いながら、ぼくはぼくで鶏肉を噛む。

広背筋、肩甲骨の下のあたりか、それから首、左の腿の裏など、熱痙攣を起こしかけていたが、なんとかだましだまし作業していた。横になってこれを書いている今も、やはり背中や首が痛み、攣りそうになる。氷河期の逆のようなこの日々、なんと形容しようか。

昨日つくっておいた「セメント」を食べる。今日はおじやっぽくしてみた。うまかった。まだ七時前だが、もう眠ろうと思っている。本を読む気力も残っていない。明日早く起きて色々とやろうと思う。

 

 

2022/08/02

東京は38℃まであがったらしい。シャツはもとより、ズボンから靴下、地下足袋まで汗でぐっしょり。まるで「池に落ちた人」といったような姿。もしくは「服を着たまま間違えてシャワーを浴びてしまった人」かもしれない。ただの植木屋です。

帰って風呂に入り、洗濯機を回しても、払いきれない汗のにおい。スマホカバーさえ汗を吸い込んでいるようだ。ちょっとにおう…気がする。

氷をぱんぱんに詰めた大きめの水筒に、その子供のようなちいさな水筒をもっていく。現場が動き出す前に、大きいほうから小さいほうへ、水を入れかえる。お尻のポケットにそれを突っ込んで作業する。現場はあまりにも広く、水筒のある車までの往復さえつらいので、思いついたやり方だったけど、これがよい。気に入ってる。植木屋十二年目ほどだがやっと気づいた。真夏の広大な現場はこれまでにいくつもあったけれど、なぜ今までこれに気づかなかったのかと、すこし悔やまれる。車の近くを通るときには小さいほうをまた満たしておく、その作業がなんだかすき。

水分補給をめんどうだからと我慢してしまうと、ほんとうにそのまま倒れてしまいかねない、危うい暑さが続いている。ぼくの大切な人も、そうでない人も、無事にこの夏を乗り切れるといい。祈っている。

 

風呂に上がってすこし涼んでから、いつもの減量食をつくる。昨日から再開した。沼シリーズの「セメント」改良版。おいしい。8月はこれでいこうと思っている。少々痩せたほうがいい。

それから横になってこれを書いている。もう眠い。十八時だ、眠いわけないのだが、暑さのなか働いてるとこうなる。なんだか眠くなるのだ。

 

『欅』の感想がぽつぽつと届きだして、とてもうれしい。幸せだと感じる。ありがたいことだ。読んで頂いて、そのうえに感想までもらえるなんて。そんなたいそうなものを書いているわけでもないのにね。ぼくはとても恵まれていると感じる。

植木屋の仲間で、ふだん本など読まないけれどぜひ読んでみたいというので『楠』を渡した人にも、今日『欅』を手渡してきた。植木屋目線の感想というのも新鮮だったので、またなにかしら頂けたら、今後の糧にできそうだけど、果たして最後まで読めるかな。読んでくれればいいな。

 

セメントの炊きあがるまで起きていられるだろうか。明日も非常に暑くなるらしいので、なんとか食べてから寝たいところではあるけど、このまま寝てしまったら快いだろうなぁとも思う。うとうと…。

 

 

 

2022/08/01

炎天下にぼろぼろの現場である。

ふたり、コロナの隔離期間をおえて現場に出てきたが、そのうちのひとりは昼に熱を発し帰ってしまった。

ひとりは午後の凶暴な暑気に水分をうばわれて筋肉をいましめられ動けなくなった。

ひとりは新たに陽性反応をえて現場に来れなくなった。

元気なのは最年長のぼくと、職長のもうひとりだけであった。なんともぼろぼろの現場ではないか。

それでも外で働いているのだ、現場仕事の人間というものは。だからなんだと言うつもりは一切ないが、そうして外で働いている者もいるのだということは伝えていきたいものだ。

夏は暑く、冬は寒い?ちがう。夏は熱く、冬は凍るのだ。それが外仕事。血が沸騰し、あるいは凍結する。だから何と言うつもりはない。それだけのことだ。

 

空調服は革命だというひとがある。現場でもみんな着ている。ぼくはあれが好きじゃない。まずぶーんという音が始終鳴っていてうるさいし、バッテリーも邪魔そうだし、上半身を空気で膨らませていてみばえが滑稽だし、なにより高価でぼくには手が出せないのだ。買えないから嫌いなのだ。それに、これが最大の理由だが、ぼくは夏は暑いものだと思っているし、すばらしい強敵だと認めている。そいつと毎年闘う自分がきらいではないのだ。闘えなくなるときはやがてくることだろう。その日までは闘いたい。だからその日までは空調服を買うことはない(金が入っても)(たぶん)(明日にも買うかも)(暑すぎる)。

涼しい部屋で寝転んで本を読む。さいわい。それも昼のおびただしい汗があってのこと。働かないとぼくは読めなくなるし、書けなくなる。だからこれでいい。倒れないようにだけは、気をつけながら。

 

先生から『欅』のご感想をいただいた。大事なお守りがまたひとつふえたような感じ。書いてよかった。

ぼくはこの『欅』を堂々たる失敗作と言って憚るつもりはないけれど、それでも愛着は持っている。そもそもぼく自身が失敗作であるわけだし、出来不出来だけがすべてではあるまい。好きなものは好きなのだから仕方ない。

書き終えたことにまず意味があるということは、先日も書いたかもしれない。次に進めるのだ。ぼくは進んでいきたい。まだまだ、どんどん、この道をゆきたい。これからなにを書いてゆくのかはまったくわからないし、なにを目指す予定もないけれど、ぶらりぶらりと、命をかけて、歩いていきたい道なんだ、この道は。

 

 

 

2022/07/31一葉記念館

休日。朝から食べすぎるくらい食べた。体重は増えたが、体の求めに応じて徹底的に食べてやった。体重は…明日からまた減るだろうから、まあよし。

事務を片付けて、玄関先で軽トラックの洗車、道具の手入れなどをする。汗だくになってしまい、昼前にシャワーを浴び、服を替えてそれから出かけた。

都電、いわゆるチンチン電車に乗るのははじめてだった。町屋から三ノ輪まで。出発するさいのチンチンという音はなんとも快く、童心をすこし思い出すような心地がした。

龍泉まで歩いていき、樋口一葉記念館を訪れた。事前に和田芳恵の『樋口一葉』を読んでいたので、新しい知識はとくに得られなかった。原稿や愛用の文机などもやけに奇麗だと思ってよく見てみると(複製)とあり、それはそうか、仕方ないな、と思いつつもやはりすこし残念ではあった。古びた全集にはすこし心惹かれたが、高価ではあるが買えないものでもないので、お金で買えないような精神的な価値は見いだせなかった。

ただ建物が清潔で閑静で、とてもいい記念館であることには違いない。「一葉箋」なる一筆箋をひとつ購入して外へ出た。

 

植え替えられたものとはいえ、植木屋のはしくれとしては吉原の見返り柳を見に行きたかったし、そこから入谷をめぐって上野、本郷あたりをぶらつきたかったところだが、出たのが遅くなったこともありおまけにひどい暑さのために諦めた。三ノ輪からバスに乗って曳舟のプチパリへ。

背中の鞄には『欅』を数冊。居合わせた数人のかたへお渡しした。冒頭を読み、「機関車のような出だしだ」というお声をさっそくいただいた。面白い感想だと思った。「シュッシュポッポがずっと続くとおもしくないけれど、あなたのはそこから飛んでいくのがよい」とのことだった。かなりいいように言ってくれてると感じるが、ありがたく頂戴しておいた。

書き終えないと、先には進めない。こうしてぼくはやっと「書き終えた」と感じることができた。先日も先生から、本が届いた旨ご連絡を頂戴した。そのときにもやはり、ああ、書き終えたのだ、やっとこの手から離れたのだな、とそう感じたものだった。

さて、ゆっくりと、次の一歩に踏み出そうと思う。何を書こうか。

 

 

 

七月読書

徳冨蘆花『不如帰』

夏目漱石文鳥』『夢十夜』『永日小品』

和田芳恵樋口一葉

石川順一『LE PETIT PARISIEN』

よなかくん『ぼくのあお5』

ほか、一葉など再読

暑さやもろもろの事情があり、数は読めなかったが、かなりよい体験をした。

本とはなにか、なぜ残すのか、自分はどういったものをどういうふうに残したいのか、などいろいろ考える七月になった。