木曜荘

ものかきの日記

食べる楽しみ

今日は雨のために仕事を休んで家にいる。晴耕雨読というと格好もつくが、単に雨ではできない作業だったというだけ。それでもこうして本を読んだり、家でできるトレーニングをしたり、なにやらものを思ってみたりする時間のとれることは、雨の日の大きな恩恵にちがいない。もともとぼくは家にいるほうが好きなので、だからこそ生業には外に出なければできない仕事を選んだような節もある。

 

減量、食習慣の改善をはじめてひとつき経つが、いまのところ苦しいことはなく、得るものの多さに驚いている。

まず味覚が正常に戻ったと思う。調味料のこまかな味までわかるような気がする。成分のどぎつい調味料(マヨネーズとか)は完全に断って、口に入れるもの=自分で作ったものにしている。塩、胡椒、出汁、これで充分おいしいものは作れるとわかった。

油も一切使わなくなった。揚げもの、炒めものは減量をはじめてから食べていない。脂質から徹底的に逃げていて、それは笑えるほどで、たとえばむね肉の皮もむいて冷凍保存している。減量があけたらひとつずつ焼いていただこうと思っている。

甘いものが食べたいときはバナナやりんごジュースで足りるとわかったのも収穫で、それ以上の(砂糖のような)甘さはいまでは求めることもなくなった。

じゃがいも、鶏肉(ささみ、むね)、たまねぎ、トマト、ブロッコリー、レタス、わかめ、しいたけ、しめじ、バナナ、そういったものばかりを食べている。

ひとつきでだいたい5〜6kg減ったが、筋肉量は減っていない。いかに普段から、基礎代謝以上に食べていたかがわかる。

ウイルス禍で仕事の激減したせいもあり、外出する気にもなれず、また持病の鬱もひどかったために、完全な運動不足におちいって、薬の副作用にそそのかされるまま、過食に近い食べ方をしていたとふりかえって思う。

基本的に空腹でいるのだけど、それは減量中だし当然、とそうおもっているうちに、お腹の空きづらくなってることにも気づいた。味付けばかりで栄養価の足りない食品はすぐにお腹が減るけど、いまの食事に変えてからはそれがなくなり、むしろ基礎代謝分どうやって食べようかと頭をひねっている。どう考えても食べられない量なのだ。

けど筋肉が減ってしまうのはいやなので、すこしでも食べるようにしている。どうしても食べれないときはプロテイン飲料をのんだりもするけど、なるべくしないようにつとめている。それに加えてトレーニングも減量前とかわらない質で続けるようにしている。

体が変わると、なにもかもが変わる。考え方や、姿勢や、精神の姿勢まで変わる。

ぼくはどんなにふくよかな人を見ても不快に思うことはないけれど、自分が太っていることは本当につらくて耐えられない。けれどいまの持病の薬を飲むようになってから、とても太りやすくなってしまった。症状が出て、日常の活動すらできなくなってしまえば、さらに拍車がかかる。太ればさらに自己嫌悪がこじれて自尊心が底をうつ、悪循環に嵌ってしまう。その副作用による過食というものも、いま着実に克服しつつあると感じていて、これがいちばんうれしい。

冬から蓄えてしまった過剰な脂肪を、削ぐようなつもりで体と対話している。体は減量を喜んでいると確信しているし、そこから学ぶことはとても多い。

ゴールまでの道中にいくつか据えてあるちいさな目標、その目標体重にたどり着いたときに、ご褒美として何をつくって食べようかを考えるのが今の楽しみ。

好きなものを好きなだけ食べる喜びというのは麻薬の常用のようなもので、それは幸せの前借りに過ぎないのだと思う。食べるにはその前に狩猟なり、収穫なりが必要になるというのが、やっぱり自然なのではないかとこの頃思う。

三十五歳を過ぎたあたりから、体はさらに太りやすく痩せにくくなってきた。油断すれば筋肉から溶けていくし、そうなれば生業の邪魔にしかならないし、創作にも影響するだろう。いまの時点でこの食べる楽しみ、食べられる喜びに気づけてよかった。

これからも美味しいものを食べていこうと思う。