木曜荘

ものかきの日記

2022/05/11

出来上がった本を読んで、推敲が甘かったね、と言われる夢をみた。誰にそう言われてもおかしくないできなので、そういう夢を見るのも無理はない。でも、いまのこの形で本にしてみたいというおもいが強い。

「楠」を上梓したときだってそうだった。自分ではまぁまぁのできだと思っていた。けれど二年近くたったいま読んでみると、やはりいま書いているものには劣ると感じる。実験的な要素も含んでいたから、その点は仕方ないとしても。

「欅」にもそういう要素はある。少しだけ。「楠」から引き継いだものもあるし、継がなかったものもある。あたりまえだろうけど、ぼくも少しずつではあるけど、進んでいるのでそうなる。

 

妻の了承を得ることができたので、誕生日のプレゼントがわりに、「欅」の表紙にしたいとずっと思ってきた絵を購入する。それから製本の過程にすすむ。最終的な誤字脱字の確認を、今度の休日に時間をかけて行おう。今週末、車検のために3日間強制的に働けなくなるので、ちょうどいい。そこでちょっと時間をかけよう。

あいかわらず家計は火の車にちかいけれど、こころよく承諾してくれた妻には感謝しかない。二度目の結婚だけど、ほんとうにいい人にめぐまれたと思う。ぼくは幸運な人間なのだろうなとつくづく思う。ありがたい。

なにしろ雨漏りをあとまわしにして本を作ろうと言うのだから、わがままもいいところだ。どうしようもない人間だ、ぼくは。それでもこうやってしか生きていくことができないと感じるし、それを理解してくれてる人がいるというのは、それだけでさいわいだ。本を作ってしまえば、それはもう読者のものになる。作る前のこの時間だけ、この作品はぼくのものなのかもしれない。そこでこうして周りの人への感謝に気づかせてくれるのなら、それだけでもとてつもない価値を持つ。

貧乏のままでもいい。生きている限り、書きつづけていきたいと思う。