木曜荘

ものかきの日記

2022/06/08

休日がないと、どうも曜日感覚が乱れる。疲れているが、まだまだやれる。この頃は自身の老いにばかり目が向きがちだったけれど、まだ若いのかもな、などと思う。

昨日も、いつの間にかふりはじめた雨にしっとり濡れた。寒かった。毎年のことながら、梅雨まではまだ寒いということを忘れてしまう。今日も雨のようだけれど、負けずにいい仕事をしたい。

 

『欅』

昼休みには、前回お世話になった印刷屋さんと連絡をとった。日曜日に会って打ち合わせをすることに。ようやく『欅』が形になる。最後の曲がり角をやっと曲がった。費用の心配が拭われたわけではないけど、待ちくたびれたのでこのまま進める。

入稿を前にして、いろいろと感じることは多い。『欅』はもうすでに、ぼくの過去になっていることにも気づいた。まちがいなく「今」をきりとりつづけた作品なのだけど、いやだからこそというべきか、もうそれは過去なのだった。なので今更それをどういぢくったところで、意味のない嘘になる。いろいろと心残りのおおい作品ではあるけれど、あえてそのまま本にしたいと思う。

 

読書

仕事がすこしはやく終わったので、斎藤緑雨『緑雨警語』を読みおえた。多感な若い頃に読めばまたちがった感想だったかもしれないが、いまのぼくに響くものはさほどなかった。ただ、使われる日本語がとても美しかった。

『欅』を書いているあいだ、ずっとできなかった読書がまたそろそろとできそうで嬉しい。何を読もうか。迷うのもまた楽しい。好きな作品を再読することが多いぼくだけれど、しばらくは未読のあたらしいものを読んでみたいとも思う。その点、文学フリマでの出会いが影響しているかもしれない。

中でも片上長閑さんの句集『無用抄』はすばらしい作品だった。ぼくは俳句に明るくないけれど、それでも確かに伝わってくるものがあった。作者の息遣いさえ聞こえてきそうに思われた。明石海人の短歌を読んだときにうけた感動に近いものがあった。偽りのない、等身大の視線、言葉、それらがほんとうに美しかった。また何度も読むだろう。こういう作品をつくるかたが同時代にいるということはさいわいだ。

kokeshi777sada.booth.pm

 

詞華集『蕾』

二篇書いた。まだすこし書きたいと思う。載せるかどうかは別として、書きたいだけ書いてみようと思う。詞華集に載せない文は集めて後日、少部数のちいさな冊子にしたいと思う。第一号は締切などなく、じっくり作っていきたいので、ご参加くださる作家のみなさんも日々いろいろとあることとは思うけれど、ゆっくり書いていただければうれしい。

 

今日は仕事の開始時間がゆっくりなので、『欅』最後の校正などしよう。