木曜荘

ものかきの日記

2022/06/29

昨日は真夏のような一日だった。カレンダーはまだ六月…。夏がきたらいったいどうなってしまうのかと考えるとおそろしい。どんなに暑かろうと動かなければ仕事はすすまない。肉体労働を選んだ以上、これはもう仕方ない、暑い寒いとはずっと付き合っていくのだから。

予定通り全体の半分ほどは終わったので、無理に追いこまず余裕をもって帰宅。とにかく体力を削られる暑さだった。続きの今日は、終わらせることを意識しないといけないので、昨日よりすこし厳しくはなるけど、がんばる。倒れないように。

「若くなければできないわね」と施主さんが言ったけれど、ぼくより若いのが半日で音を上げて帰ったりしているので、若さというより慣れだと思っている。というか若くないとできないなら、ぼくはあと何年かで失業ということになる。もう若くもない。

 

先月の文学フリマで買いたいと思いながらお財布事情で買えなかった本をやっと注文できた。うつくしい手製本。手にするのがいまから楽しみ。届いたらじっくり撫で回してから、読みふけりたい。

本っていいよなぁとしみじみ思う。前作も、いま印刷まで進んでもうすぐできあがる作も、形にすることを最優先にした、言うならば練習作だけど、それを作る(作ってもらう)うちに、自分の求めている形のようなものがおぼろげながら見えてきたし、それを形にしている方に文フリで出会えたし、ぼくはいろいろと幸運にめぐまれていると感じる。

『楠・欅』では自分が清算したいと思っていた過去を書いた。庭などでの労働を舞台にしているけれど、主題はそこではなく、「詩というもの」についてがあくまでも主題。自分なりに清算できたのではないだろうかと思っている。あいかわらず、最後の最後までなにも起きないけれど。「ストーリー」「キャラクター」偏重のいまの時代に、そういうものを書く人がいたっていいでしょう。ぼくの大きな道草だ、これらは。これでようやっと自分の道をあるいていく準備が整ったと感じている。どんな道なのかは歩いてみなければわからないけれど。

今週金曜日には『欅』最後の打ち合わせ。それが終われば刷るだけになると思う。やっと終わる。完成して嬉しいとか、やりきったぞとか、そういう気持ちはあまりない。なんだか肩の荷が降りたような、安堵のような、なんだろうこの気持ち。創作の意欲はすでに次へ向かっているし、二年かけて書いたものだから、大半がすでに過去になっていて、なんだかよくわからない感情をもてあまし気味。「達成感ていうのはシャボン玉」とぼくのすきなラッパーも歌っていたけど、そんな感じ。

 

仕事へのモチベーションが「生活して製本するため」に戻れたので、しばらく頑張れそう。この「製本」が肝心で、これがあるだけで仕事のつらさ退屈さと戦える。生活だけのための仕事はつまらない。まして仕事のための仕事など、やっていられない、おもしろくない。すこしでも楽しく生きようと思えば、そういうところを大事にしなくてはいけない、ぼくの場合。いいものを作りだすために庭で汗水ながして働くのだ、それはとても楽しいことでないか。それにしたって暑すぎるけどね…!