2022/07/27 頒布開始
今日も暑かったが、長袖での作業にも慣れてきた。直射でない分、考えようによってはいろいろといいものかもしれない。夜の体内の熱のこもりかたが違うような気もする。とはいえ日中は滝のような汗ではある。
昨日届いた『欅』を昨夜一晩かけて読み直した。日中の熱でとろけた脳みそで、細かいところまで確認できているのやら不安ではあったが、どうやら問題はなさそうだったので、ネット店舗の棚に並べた。
あたらしい本ができました
— 森侘介 (@wabisukemori) July 26, 2022
『欅』です
今週末には発送できるように準備します
表紙は前回と同じく、長野順子先生の作品を拝借しました
「続いてゆく」という作品で、この作品を拝見したときに、『欅』の結末がすこし変わりました pic.twitter.com/s4vQwJl8eL
Twitterでも書いたように、表紙の作品は長野順子先生の「続いてゆく」という作品。
ぼくはもう『欅』を書ききることは出来ないだろうと何度も思った。うまく書けない。書きたいことを書きはしたけれど「うまく」書くことはついにできなかった。
それでも、なんとか完結まで筆を投げ棄てることなく進めたのは、この作品のおかげだったといえる。
少女は本を開く。その本はどこから来たのだろう。少女はこの後、その本とどう付き合っていくだろう。その本には一体何が書かれてあるだろう。その本は誰がどういう思いで綴じたのだろう。すべては「続いてゆく」のだ。
ぼくの作品だって、そうに違いない。そう思ったとたん、心が叫んだのだった。うまく書けなくてもいい、それさえきっと続いてゆくのだから。明日の自分かわからない、十年後かもしれない、わからないけれど、それはきっと続いてゆくのだ。いまはそう思っている。
だからこそ、失敗作といってもいい今回の作品でさえ、ぼくは自ら否定することもなく、胸に抱いていくものと思われる。精一杯こめた。うまくは書けなかったが、精一杯やった。結果は、何部売れたかではないし、どれだけ人を感動させたか、でもない。結果というのは、書いたということでしかない。書き終えた、ということが結果なのだとぼくは思う。
とはいえ、お手にとっていただければ、やはりこれ以上のさいわいはないとも思う。発送の準備が済んだむねTwitterで紹介をすると、すぐに数冊お買い上げいただいた。Twitterのこの「早さ」というのはやはりすごいものがあると感じた。
早速のご注文ありがとうございます
— 森侘介 (@wabisukemori) July 27, 2022
ブーストまで頂いてしまい大変恐縮です…ありがとうございます pic.twitter.com/6rpcjVaL18
どういった感想がいただけるかはわからない、正直かなり怖れている部分もある。自分で見れば粗だらけであるのだから仕方ない。すべて正面から頂戴しようと思っているので、たくさん感想をいただけると嬉しい。
何冊かはすぐポストへ投函した。その後にご注文いただいた分は明日の朝にでも投函することにする。とにかく、なんともうれしい夜となった。
皆様に感謝申し上げます。いつもありがとうございます。
それではおやすみなさい。