木曜荘

ものかきの日記

2022/08/06 『欅』について

今日はよい日。とてもよい日。

 

早起きは無事にできて、いざ横浜へ、と思ったらちがいました千代田区でした。ほとんどの人数が横浜へ向かった。ぼくは気の合う仲間と二人で千代田区へ、さっと片付いて次の現場へ。

午後の暑い盛りに仕事を終えて、また帰りの車中でいろいろ話す。ドライブして、ついでにちょっと作業したような一日だったので、ちょっと働き足りないような気もしつつ、相棒の彼は本当に気の合う仲間なので、楽しかった。

置き場について他の人達の帰りを待ちつつ、また別の人(久しぶり…しっかり話したのは数年ぶりかな)と話し込む。帰ってきたらまたその人達と話し込む。なんだかおしゃべりばっかりの一日だったな。

 

 

帰ってYou Tubeを開くと、先日ブログにも掲載させてもらったゆきひらさぎりさんの新しい動画がアップされていた。しかもぼくの大好きな「雑談」回である!…ゲーム実況もお腹かかえて笑ったり、まったり眺めたりできて大好きなのだが、ぼくはこの雑談回の大ファンでしてね。

時間の使いかたって難しいよね、ほんと大事だよなぁ、ふむぅ、などと虚空にむけてうんうん相槌をうったり、声をだして笑ったりしつつ聴いていると、拙作『欅』についても言及してくだすって、ぼくはスマホを前に姿勢をただした。

感想って、なんというかこう、分析的というのかな、書評のような細かなものを頂いても当然うれしいのだけれど、「言い表せないが、よかった」とか「よかったよ」という一言でもう充分なんですよね。それをさぎりさんの口から直接に(動画だから間接とか言っちゃあいけないよ、これは直接にちがいないよ)聞くことができたのは、本当に幸せなことです。

『欅』は前作以上に心身を削った。これに比べたら前作は助走のようなものだったのかもしれない。それが「切実さ」となって読んで頂けたのはとてもうれしいし、心身を削った甲斐があったとも思える。

それからぼく自身も気に入っている終盤のあたりにふれて、言葉のそとにあるものを感じてくだすったという。それはぼくが大事にしている「余白」のあたりかもしれない。そこに詩が宿るんだ、とか色々言辞を弄していたこともあったけれど、いまはただ「余白」と言っている。このほうが気に入っている。

この「余白」には、言葉そのものではなくって、その言葉の「指し示しているもの」があると思っているし、そこに読者諸氏がすっぽりとはまるようにもなっていると考えている。そのための「余白」。たとえば声が言葉なら、口を閉じたそのあとの静寂がそれにあたる。静寂は余韻といってもいいし、響きといってもいい。なんでもいい。

そこに何かを見出してくれたのではないかしらと思うと、胸が震えるほどうれしかった。もちろん、言葉そのものも大事に書いているけれど。ぼくは紙のうえの「白」を浮き上がらせるために、「黒」い文字を書いているときもあるので、それがこころに触れ得たのであれば、こんなに嬉しいことはないのだ。

そして最後に、「これはまた読み返すね…よかったね」の一言。これはもうありがたい限りで、ぼくはスマホ画面にむかって手をあわせてしまった。ありがたい。

 

またこちらに(勝手に)貼らせていただきますので、ぜひご覧になってみてください。前半の雑談もとてもおもしろい。ノンフライヤーに興味津々。

youtu.be

 

他の動画もどれもおもしろい。

You Tubeだけではなく、ゆきひらさぎりさんのHP⇩では数々の作品も読めますので、そちらもぜひに。はてなく自由な言葉たちを存分にたのしめる作品ばかりです。

おすすめは、ありすぎて挙げるのがむつかしいけれど、短めのものなら『spherules』作品群、なかでも『SISTERS』は胸に深く深くささったのを覚えている。長いものが読みたい方は『ニニと神さま』のニニとカフの愛すべき世界へいってらっしゃいまし。言葉というものがさぎりさんの筆によってつらなると、たえなる音楽になるのだということがよくわかる。短歌も味わい深いし、漫画もめちゃくちゃかわいい。

ぜひぜひ。

spherules.blue

 

 

ぼくはほんとうに人に恵まれているな、そうしみじみ感じ入った一日であった。こういう日があるので、人生は棄てられないのだ。