木曜荘

ものかきの日記

自戒、いまこれが要る

このところ頭がよくはたらかず、けだるさが重くまとわりついていた。

たとえば仕事のまえ。鬱の症状とはちがう、ただただ働くということがいやでたまらないような感じになる。c(`Д´と⌒c)つ彡 ヤダヤダ…なんといおうか、歯医者にいきたくないとごねる子どものダダのような感じで、扱いに大変困らされていた。

雨か、暑さか、家の隣で行われていた解体工事のために自由に道具や荷を捌けないことへの苛々か、あるいは減量のせいで気力が減退しているのかも…とそれっぽい理由を探せば無限と言えるほどたくさんあった。ただ病気のせいとは思えなかった。鬱特有の「臭み」がそこになかったからだ。

それでは、原因は自分にあるはず、と今朝思い当たった。雨も、暑さも、解体工事も、自分のそとの現象ではあるけれど、それをどう受け止めるかは、常にこちらに選択権がある。受動的な、ネガティブな、卑怯な受けとりかたをすれば、生活の背骨は簡単にへしおれる。

 

「自戒」

この言葉を思い出し、大きく宙に描いて、額の上に置いた。

そうして仕事へ向かった。なるほど、足りていなかったのは脂質でも糖質でもないし、服薬でも睡眠でもなかった。これだったと思った。

ぼくは弱い人間だから、ほうっておくと愚図な方へ、卑怯な方へ、懶惰な方へどんどん流れていく。根が不真面目だからそうなるのは仕方ない。ただ、そうなってしまっては、人生はまったく面白くないものになってしまう。

ため息をついて、ああ人生とはなんて退屈なものだろうと欠伸をこらえる。退屈にしているのは、怠惰な自分自身にほかならないことは忘れたふり。

毎日の「やるべきこと」を放り投げるようにやっつけて上から砂をかけて隠す。それで、一日分働きましたもうご勘弁を、なんていってだらけてしまう。そうしているうちは「やりたいこと」だってやれやしない。張りがないのだもの、当然そうなる。

 

自戒というのはつまりは自愛で、鞭が必要な人間なんだぼくは。愛の鞭なんて言葉を使うつもりはないけれど、まぁ似たようなものかもしれない。ひっぱたいてやるのも愛なんだろう。見知らぬ他人にいきなりひっぱたかれればアリガタ迷惑だし腹も立つだろうけれど、三十数年いっしょに生きてきた自分に叩かれるのなら仕方あるまい。こいつがぼくのことをもっともよく知っているのだから。

とりあえずそうしてひっぱたきながら仕事を終え、風呂に入り、篠笛の練習をし、今朝より一歩すすんだ場所にいることを感じて、ここに書き込んでいる。

休むことはほんとうに大切。それができなければ生きていかれない。けれどぼくの場合、いつまでもそうしていてはだめ。「やりたいこと」ができなくなってしまうから。ある程度の負荷は必要なものとして、その反動をもって創作のエネルギーにしたい。

 

頑張っている人の日記やつぶやきを読んでは、またはその姿をみては、ああぼくも、ぼくだって、とぐずぐずしていたけれど、「自戒」の一言からどうやら奮起することができたので、今日はとてもよい一日といえる。

誕生日の昨夜、だいすきなえんがわの押し寿司を食べたおかげかな。まあもっとも、近所のスーパーの安いお寿司だけれども。