木曜荘

ものかきの日記

このごろ

この頃、文章を書かなくなった。焦りもない。締切もないのだし、ゆっくりやればいいと思っている。年内にある程度かたちになって、来年にでも上梓できれば充分。

どのみち、口座には本を作るだけの余裕がない。ウイルス騒ぎのせいというより、出したり引っ込めたりされる緊急事態宣言とやらのせいだろう。あれが出るたびに仕事が途絶える。解除されると途端に過剰なほど仕事が入ってきて、さばくのがやっと。仕事がない間は不安との戦い、通帳とのにらめっこ。仕事が入ってくればなまった体を再起動するつらさとの戦い、くわえてこの暑さ、マスクの息苦しさ。個人でひっそりやっている植木屋でさえこの程度の影響は受けているのだから、飲食店の経営などはそれこそ地獄だろうと察しがつく。ひとりでも多くのひとが無事にこの禍を抜け出せることを祈るばかり。

病状は中の上と下をいったりきたり。元気ではないが病でもないといった感じ。上のときは鏡花などを読んでいる。下のときは文章が頭に入りづらいので絵を観るようにしたりしている。それでも本が読めるうちは生きているという手触りが感じられる。なんとか生きている。

今年のはじめ、ふた月ほど完全に仕事が絶えたときに、どんどん減っていく通帳の残高と、おなじだけ増えていく体重に悩まされたが、いまはだいぶ減ってきた。もう三ヶ月ほど減量食を続けているが、脂質などを避けて必要なものはしっかり摂っているのですこぶる体によいように思われ、やめどころが見つけられない。あるボディビルダーのかたいわく、そんなに長く続けていいものではないらしいのだけれど、他に食べたいものも見当たらないのだ。トレーニングも無理のない範囲で続けられている。まずまず。

 

祖母の葬儀、精進落しの席で甥や姪と話していて、彼らの成長に驚かされるとともに、彼らくらいの年頃に親戚のおとなたちがぼくに言ったような台詞を吐いている自分に気づいていっそう驚き、笑いが止まらなかった。年をとったのだなぁと思い、久々にみずから年齢を確認すると、もう四十に届くところじゃないか。なるほど、もうさほど時間は残されていない、そう再確認した。祖母は老衰で逝ったし、叔母たちも孫をもった、従姉妹たちもすてきなおばさんになっているし、ぼくだけ十五歳の精神年齢でのほほんと暮らしてきたのだなぁと感じた。でも年はとっている。

だからこのあとの人生は、作家として生きようと思った。会社員でもなく、植木屋でもなく、病人でもなく、なんでもないただのひとりの作家として生きよう、と。本は売れないだろう、でもいつかの誰かが読むだろう、だから本をかたちにしよう。残りの時間をそれだけに使おう。そのために植木屋として働くけれど、庭にあっても作家でいられるように、残り時間を刻む魔法の懐中時計を携帯しよう、ペンをもつ手に。

そんなことを考えたり思ったりして暮らしている。