木曜荘

ものかきの日記

「欅」ひとつめ

短編集「楠」につづいていま書いているのだけど、これらをひとまとめに「欅」として上梓する予定。
「四話」ほど書いたところで鬱がきて、しばらく鍋の中へほうっておいた。正気にかえってから読み返すと、言葉がとても窮屈そうに並んでいた。全部、書き直すことに決めた。

そもそも「短編集」とわざわざ題につけたのは、ひとつひとつが繋がりながらも独立した作品だからだった。
それなのに、「続きを書く」という考えで書きすすめてしまったがために、なにかこう、長編小説でも書いているかのような錯覚があり、物語としての整合性だとか読みやすさだとか繋がりだとかに意識が向いてしまい、言葉がひどくおろそかになってしまっていた。「四話」ではなく、本来は四編というべきそれらの文字列は、脚本程度に隣において、あたらしくゼロから書きはじめた。

今日、ひとつめが終わった。
書く際の意識が「短編」というふうにただ切り替わっただけのことなのだけど、言葉がちゃんと動きはじめたように思う。これなら推敲にも耐えそうだと思えるところまで今日書きあげた。これからじっくり熟成していこうと思う。

そうして、書くことも読むこともできなかった数ヶ月の時間も、ここに生きる。書けないときも書いているのとおなじことなのだろう。
どうせ来年もそういう時間はやってくる。もちろん来ないにこしたことはなく、そのためにできることはなんでもやるけど、でもたぶん来る、仕方ないんだ、それじゃあ、来たときにどうするかを考えたほうが易い。
だから何度もここに書く。
無駄なんかじゃない。
いつか読めるようになるし、書けるようになる。
唇噛んで、拳を握って、七転八倒しても、抜け殻みたいにほうけていてもいい。
その時間を、いまのぼくは無駄にしない。

書いていこう。歩くように。生きるように。