木曜荘

ものかきの日記

2022/05/10

昨日の朝は心身がおもかった。不安定な天気のせいもあったろうけれど、それだけではなかっただろう。原稿のことや、製本費用のことなど、いろいろと考えて疲れてしまった。そのうえ一日雨のなかの作業が待っていた。雨を理由に休んでしまおうかと何度も思ったけれど、なんとか家をでた。

綱渡りをするような感覚があったけれど、なんとかよい仕事ができた。こういうことは自信につながる。逃げなくてよかった。何度かバグが起きてその場に立ち尽くす場面はあったけれど、形になった現場をみれば良い仕事だとわかるので、おわりよければ、というやつだろう。

 

今朝は昨日ほどではない。昨日あれこれ考えすぎて、書きすぎてしまって、いろいろと悩ましいことがあったけれど、そのぶん、というべきか、今日はなんだか空虚だ。胸に風が吹いたらそのまま吹き抜けてしまうのではないかと思うほど、ぽっかりと空虚だ。ここに書くのもよそうかと思ったけれど、こういう時こそ書いておくのがいいのではないかと思い書いている。

 

書くことでしか生きていく手がかりをつかめない。欅を脱稿し、蝶はまだ書きはじめられない今、書くのはこの日記くらいのものだ。ここに発散しても濃縮してもあらわしてもなににもならない、これは作品とはちがう、でも生の言葉だ。だまって作品にむかうほうがいいと思わないでもないけれど、ここにこうして吐き出してしまわないと言葉の自家中毒を起こしそうなのだ。ふきだそうとする汗を止め得ないように、言葉も出るにまかせてどこかに吐くしかないときがある。

 

ここに書いては消し、書いては消す、そしてまた書く。この作業がなんの意味をもつのかわからない。換気扇のまわる音だけが聞こえる。それでもやっぱり書いておくしかない。ぼくはすぐに自分を見失う。自分のみちしるべは自分で立てるのがいい。迷ったら思い出すことはないけれど、ここを見れば進むさきのわかるように。まっすぐな道でもぼくはすぐに迷子になる。だから書いておく。進め、と添える。