木曜荘

ものかきの日記

2022/06/19

昨日は祖母の一周忌。横浜の急な坂道を歩く。従姉妹たちが子どもを連れてきていたので、だいぶ賑やかだった。甥姪の成長ぶりには会うたびに驚かされる。従兄の葬儀もまだはっきり思い出せるいま、喪服の群れのなかで無邪気に走り回る幼児たちは救いだった。そう思ったのはぼくだけではあるまい。

行きは快速特急、帰りは母の車の助手席で案内係、とはいえ首都高は母のほうがなれているのだけど。渋滞にはほとんどはまらずに帰れたが、それでも帰宅したのは十七時ごろ。法事はやはりまる一日かかる。帰り道、後部座席で眠る妻と妹、ぼくは母といろいろ話す、亡父のことや祖母のこと、なかでも僧侶について愚痴る母の言葉がおもしろかった。うちの住職は毎回考えさせるような、感動させるような言葉を法要の最後に話してくれるが、今日の住職の話はひどかった、と。ぼくもそう思うけれど、それが世の中の一般の僧侶だと思っているので、いわゆる普通では?と返した。坊主といえば、高級車にのって、金の腕時計をして、いいものをたらふく喰ってむくむく肥えている印象だ、…これは偏見ではなく、いままで出会った僧侶たちの印象の総合。仕事でもたくさん会ってきたけれど、そうでない人のほうが珍しいとさえ思う、一人二人しか思い浮かばない。そう言っても母の不満は抑えられなかった。それがぼくには可笑しくて、ずっとわらっていた。

帰宅後すこしこころを整理したくて、短い文章を書いた。死について思うのは生について思うのと同じだろう、ぼくは死を鏡にして自分を見ているのだろうと思った。あとどれだけの時間があるのだろうか、そう考えずにいられる日は少ない。残りはきっとそう長い時間でもないだろうから、書きたいものを書いていかなくてはね。

 

今日はどうしても日曜に施工してほしいという常連さんのお庭で草刈など。朝六時の時点で、なんだかとても暑くなりそうな気配がすごくある。大きい水筒と着替えを準備する。妻が手伝ってくれる予定だが、まだ眠っている。疲れているのだろう。ぎりぎりまでほうっておくことにする。今週は日曜の施工がちょうどいい。昨日法事で休んだぶん稼がなければならないし、明日は午後から日本橋に遊びに行くので。大血眼展、楽しみ。