木曜荘

ものかきの日記

2022/09/27

よい音楽を聴くときに、目はいらない。つむるのがいい。より音を感じることができるから。よい詩文というものもそうだとぼくは思う。詩文を構成する「情報」はほぼかならず目から入れる必要があるけれど、詩というのは文面にはなく、目をつむったところにあるはずだ。

だから、白紙の上の黒い文字ばかりを追いかける詩人は、ぼくと同じ土俵にない。ぼくの詩は余白にこそ宿っている。よい歌を聴きながら、そんなことを思った。

 

さて、今朝㈬は早起きしたので日曜の分の日記を書けたら書いていきたい。

昨日㈫、一昨日㈪は、往復四時間ほどの遠い現場だったので帰ってくるなりばたんと眠ってしまった。帰路、「夜」を走るのは久しぶりのことで、目に見える情報の少なさに驚いた。夜はこんなに運転しづらかったかと。帰宅してからも、仕事以外のことはとくにしておらず、日記に書くようなこともとくになかった。

二十五日の日曜は特別だった。

朝いつもどおりの時間に起きて、仕事をあれこれこなす。道具の手入れなど。それらが済んで時間にもだいぶ余裕があったので、曳舟のLePetitParisienへ。そこで雑談をしながら時間をまった。

書斎主人の引率で、それからM駅にむかい、Oさんの製本所をたずねる。日本最高峰の製本職人の職場だ。ぼくはこの職人さんを日本一の「製本職人」だと思っている。「製本作家」ではない。職人である。たくさんお話を伺ったなかでも、何度も何度もそう感じることが多かった。

ただ華美な本をつくるのではない。美しく、かつ百年、二百年もつような「本」を作るのだ。そこには必然的に、機能としての美がやどる。華美なだけの装飾本には決してやどることのないそれは、職人の魂そのものではないだろうか。

ぼくがOさんの作品を知ったのはすこし前のことだが、本人にお会いしたのは今年のこと。その考えに、矜持に触れて、胸がはげしく揺さぶられた。あと十年早ければ、ぼくはこの方に弟子入りを申し出ていたのではないだろうか。妻や家がなければ、あるいは今でもそうしたかもしれない。十年は食えないだろうけれど、それでもやったのではないかと思う。仮定の話でしかないけれど。

技術は継承者がいなければそこで途絶えてしまうことは、先述の書斎主人のつくった稀有な一冊からもわかる。凸版も、豚革装丁も、箔押しも、なにもかも。それらの技術を自分の身につけたいと心底願うけれど、環境がそれを許してはくれないし、ぼくも家庭を犠牲にしてまでそうしたいとは思わない。妻にこれ以上負担をおしつけるのは流石に気が引ける。やるなら家を妻に譲って、ローンだけ引き受けて、独り身になって、だろう。そこまでの覚悟は三十九歳のぼくにはもてない。悔しい思いだ。

職人としてのさまざまなお話は、植木屋を十年以上続けてきた自分にもありありと想像できるものが多く、そういった面でのみ、植木屋を続けてきた甲斐があったと思った。ものすごい話ばかりだった。植木屋の自分に活かせる話があまりにも多かったが、いまのぼくは植木屋という生業にそこまで精力を注げないでいるので、これもまた勿体なく感じて悔しい。

端的に、幼稚な表現で言ってしまえば、ぼくは製本業に携わっていたかった。二十七歳ごろに一度面接までいったときのことを思う。なぜあそこで製本への道を選ばなかったのだろう。それはこの日曜日のことを前もって知ることができなかったからだ。未来はわからない。なにがどうなるかなんて、なにひとつ。

後悔するのも自分、得るものを得て今に活かすのも自分、ぜんぶ自分次第なのはわかっているが、いまのぼくは後悔することしかできない。いまとなってはひっくり返しようもない過去の選択について、うじうじ、ぐずぐず、悔やむことばかりしている。なんて情けない男だろうかと思う。けれど、それほどの衝撃があったのだった。

ぼくは実際、本の外側よりも中身に興味がある。Oさんはその逆だと話した。中身にはさほど興味がないという。しかしそれが職人というものだろうとも思った。だからぼくは本の中身たる詩をこれからもずっと磨いていき、いつかOさんの腕によって、一冊にまとめたいと思った。そのための資金を貯めるのも、それまで暮らしていくのも、植木屋の仕事によるのだろうと思うと、やはりかなしい思いはあるが、これが人生の選択の結果なのだと眼前につきつけられるような日々を過ごしている。

だからこれを読む人にひとつだけ言わせていただきたい。悔いのない選択なんてありえないものかもしれないけれど、それでも、「やってみたい」と思うことはどんどんやってみてください。やってみて違うと思うのなら戻ればいい。やめればいい。でもとにかく一度はやってみてほしい。その選択は、未来の自分を救いはしないけれども、おそらく慰める程度のことはできると思うから。

植木屋がぼくにくれたものはとてつもなく大きいものだし、ゆたかなものだったとは思う。それでもこの後悔の念だけはどうにも払拭しがたい。時間が解決するといって放っておくことしかできない。ぼくは人生の選択をおおきくまちがえた、そんなことさえ思ってしまう。けれど実際はそうではない。植木屋を選んだから「楠」「欅」が書けたのだし、それらを本に綴じることができた今だから、製本に対してこれだけの思いを持つに至ったのだ。時間、経験というものは決して前後しない。

だけど何度も言うこれが本音なのだろう。ただ、ぼくは悔しい。

 

嘆いても仕方のないことを、うじうじ悩むのは時間の浪費である。わかっているが、いまのぼくにはそうすることしかできない。転職についても毎日考えている。答えなどない。あるわけがない。