木曜荘

ものかきの日記

2022/09/09

今日も横浜。今日でほとんどの作業を終えて、明日にも完了しそうだが、明日はぼくは別の現場に行く予定。まだわからないが。

ずっと転職について考えている。ちょうど、製本会社に勤めていた経験を持つ人と、この一週間ずっと横浜を往復していたので、色々と話を聞けた。

これは予想だけれど、収入は減ると思われる。さらに残業などが生じやすい業種らしいので、いまの自由な時間も減るものと思われる。そうまでして、植木屋をやめたいのか、そうまでして、製本業に携わりたいのか。真剣に悩んでいる。

頭のなかの八割ほどが「はい」と答えてる。つまり、転職したいと。二割は「したい」ではなく「したくない」という意味での「いいえ」。収入の減って、暮らしがあやうくなるのではないかというおそれからだろう。つまり、十割、植木屋はもうやめたい、という答えが出ている。

十年間、自分をだましながら続けてきた職だけれど、残りの人生が少ない今、日中のほとんどすべてを占めている「仕事」という領分にまでも、自分らしく生きたいという思いがめりこみはじめているのだろうと思う。これが十年前なら、二十九歳のぼくなら、もう行動を起こしていたのではないかと思う。「いまはもう無鉄砲に動くわけにはいかない」と、分別ぶった横顔でいる自分が心底気に入らない。殴り倒したくなる。

自営を始めたときは、やっと会社勤めから開放されるという喜びから、とくに何も深く考えることもなかったように思う。現に、こうして手伝いに行くことで、糊口をしのぐことはできているわけだし、それは開業したときに見積もったとおりだ。

うまくいかなかったらいつでも店をたためばいいさ、とも思っていたし、それは現状まさにそのとおりではある。仕事選びは人生選び、といえば大げさかもしれないが、だいたいのことは当てはまる言葉だろうとは思う。なにせ一日の半分以上をそれに費やすのだから。

だから自分の好きなものに関わっていたい。ものを書いて食べていくことなどできようはずもないが、せめて本に関わる仕事ができたらと願う。実はこれは十年以上前から、ぼくの選択肢でありつづけたものだ。二十七くらいのときに、一度面接まで行っている。こちらの都合でそのときは立ち消えになった話ではあったが。

ここのところ、思考がずっとこうして空転しつづけている。こうしている時間も無駄にならないといいが。