木曜荘

ものかきの日記

2022/10/29

頭が痛い。今日はちょっと頭を使いすぎたかもしれない。

朝すこしゆっくりめに起きて、現場をひとつ。終わるころ、社長から連絡があったので、急いで片づけて、見積もり一件、発生材の処分、それから社長の待つ場所へ。昼食をとっている時間はなかった。待ち合わせはファミレスだったが、なにかを食べる気にもなれず、一杯の珈琲ですこし話す。喫煙ができないので、そうそうに店をでて、外でじっくりと話す。

お金のことだけを考えるならば、現状を維持したほうがいいいことは百も承知だが、このムダの多い生活から一刻もはやく抜け出したい。そして向上心をもって仕事に向き合いたい。そのために必要なのは「船」だったが、ぼくはそれをようやく見つけることができたと思っている。そのためにぼくはこの今乗っている小さな筏を、次の岸に乗り捨てる覚悟ができた。そういった趣旨のことを話した。

歓迎するといってもらえた。稼ぎは減る。けれどよけいな出費もかなり減る。贅沢を望まなければ、暮らしていけないこともないだろう。本はいままでのペースではもう作れまい。それでも、書くことは続けられる。次の『蕾』が最後になってしまうかもしれないし、そうでもないかもしれない。それはこの道を進んでみなければわからない。

ぼくは実に四年ぶりに、「選択」をした。現状維持ということも当然「選択」とも言えるのだろうが、それは選択の先延ばしとも言える。とにかくぼくは選択した。ひとり乗りの気ままなせまい窮屈な筏を棄てて、八人目の乗組員として、あるひとつの船に乗る。船酔いしないだろうか、荒波にふりおとされないだろうか、不安はつつけばいくらでも出てくる。でも選択をした。それに乗ると。

その船が進む先が、ぼくの望む場所かどうかはわからない。ぼくはいったいどこへ行きたいのか。どこでもいいのだ。誰といくか、こっちのほうが重要じゃないか。わからないけれど、いまのぼくはそう思うし、ずっと考えていたことについて、ようやっと今日舵を切った。後悔はするだろうが、選択をしなかったことで感じる後悔よりはいいだろう。やってみる。だめならまたそのとき考える。最悪でも死ぬだけのことだし、人はみないつか死ぬ。やってみる。それしかない。人生をこうまで窮屈で退屈なものにしてしまったことを悔いている今、ぼくの選択はもうそれしかない、とさえ思っている。すこし大げさかもしれないが。

帰って、ふらふらの体を座らせて、一服。それから取引先への三行半をスマホで書く。直接詫びるような相手もいない、そういう取引先だ。一年目はお世話になった、二年目は双方に儲けた、三年目に裏切られた、そして四年目に終わる。それだけのことだ、ぼくからすれば。すれちがいざまにちょっと会話をした程度の。そんな程度の関わりだ、今となっては。ぼくのその文章にたいする返答はおそらく月曜。その日はぼくは上に書いた社長の現場にいる予定。多分電話がかかってくるのだろう。ぼくはそれに出て、忙しいので夜にしてくれ、とか言うのではないかな。そのとき、向こうが言ってくるであろう内容も予想がつく。契約書の内容とかを持ってくるのではないだろうか。ぼくはそれを「廃業」の一言だけで乗り切るつもりでいる。

会社ってなんだろう、とか、いろいろ考えている。明日も仕事なので、思索はそこそこにして、そろそろご飯を食べて眠ろうと思う。そのまえにここに吐き出した。

明日はいつだってわからない。