木曜荘

ものかきの日記

2022/09/11 中秋、夜学

昨日のこと

手伝いに行っている会社の社長は、ぼくの兄弟子というやつで、経験値ゼロのぼくを知っている。植木屋に転職してから数年、「同じ釜の飯を食う」ようにして色々な現場を乗り越えてきた。様々なことがあった。この付き合いには、あいだに四年近く空白があるが、この頃ではその空白もすっかり埋まってきたように思う。

昨日はその社長と、ぼくの車で現場に向かった。ぼくがもらした「植木屋やめるかも」が耳に入っていたのかも知れない、車内でそういったことを遠回しに問われた。ぼくはできるだけ簡単に説明した。

社長は、ぼくの自己評価が低すぎるという話をした。ぼくが思っている以上の価値がぼく自身にあるらしい。そう言われればそれはもちろん嬉しいが、ぼくからすれば社長はぼくを過大評価していると思わざるを得ない。だからそう答えた。しばらく押し問答がつづいた。

現場につくと、胸がすこし軽くなっていた。十年以上前から、若い頃から一緒に働いてきた人に、愚痴というか、思い悩んでいることを聞いてもらうというのはよいことだと感じた。ぼくはめったに人に悩みを打ち明けない。人を頼るのはこわいことだと思っている。でも昨日は意味のある時間になったと思えた。

またしばらく考えるだろうけれど、ひとつの大きな思考材料が頭に入ったような感じである。思考の空転が、これですこしでも良い方向へ転ぶといい。

 

それから

帰宅してから、元気が残っていたのとすこし酔いたい気分だったので、湯島の夜学バーへ行った。

ozjacky.o.oo7.jp

二ヶ月ごし、くらいだろうか。夜学バーを知ったのはそのころで、すぐにでも行きたかったが、暑いなか働いていると、帰宅するともうでかける余裕がなかった。涼しくなれば行けるだろうと思っていたが、その日がやっときた。

電気ブラン、麦酒、ウィスキーなどちびちび呑みながら、居合わせたひとたちと、ころころ変わる会話を楽しんだ。現場では、ぼくは比較的よくしゃべる。現場の雰囲気をすこしでも明るくしたくて、皆に話しかけるようにしている。同じ時間同じ人と働くのであれば、そのほうが楽しいからだ。若干、無理をしているときもある。ぼくは話すのも好きだが、聴くのはもっと好きなようだ。昨夜はそれを再確認した。誰かがなにかについて熱く語っているのをにやにや眺めながら呑むお酒は美味い。

 

十九時頃から三時間とすこしほどいて、ほろ酔いができあがって店を出た。夜は半袖ではすこし寒かった。上野では月が見つけられなかったので、ぶらぶらするのも控えて(なにより寒かったし)、すぐに電車にのった。駅から家までの帰路でやっと月をおがめた。朝からの色々を思い出しながらしばし立ち止まって眺めた。美しかった。

 

途中で買ったカレーライスをチンして食べた。太る。また頑張って働くからいいや、とか言いながらもぐもぐ食べた。

夜学バーで話題にのぼった、「格好つけることは大事」ということを考えていた。ぼくはいつから、格好つけることをやめたのかなと考えたが、思い出せない。格好つけるのには、多大な労力が要る。ぼくはいつ、なぜそれを放棄したのだったか。それからどうやって生きてきたのだったか。思い出せないまま、眠った。

 

今日はコンタクトを新しく作りにいったり、余裕があれば洗車、午後にはプチパリに鉛筆画の展示を観に行こうと思っている。土曜の夜に遊べると、日曜日の贅沢感が増すように思う。この一週間はなかなか疲れたので、今日はゆっくり遊んで心身を休めようと思う。