木曜荘

ものかきの日記

2022/12/14

今日も横浜。そろそろ首都高を運転できるようになりたいと思う今日このごろ。道や標識がわかりづらくてパニックが出てしまうので運転を避けているが、こう毎日のように首都高を使う現場が続くと、運転してくれる仲間に申し訳なく思う。社長は気にしなくていいと言ってくれてはいるけれど。

団地のぐるりに植えられたネズミモチの長い生垣を剪定。ずっと見上げていて首が疲れたが、青空に実がきれいだった。夜をこめたような紫。ネズミのフンに例えられてしまっているのが可笑しくもある。「ヘクソカズラ」よりはましか。あれは悪口に近いものな。

昼休み、正式に社員になるか、一人親方のていで勤務するか、どちらがいいかと社長から最終確認の電話があった。悩む。社会保険完備のため、社員になると天引きで手取りがとても減ってしまうので、それを心配してくれているようだ。あとは単純に会社の払いも増えるし、そういうこともあるのかもしれないと思うと余計に悩む。

どのみち、廃業を選んだ時点で今後の収入の減少は覚悟のうえだったが。お世話になりっぱなしの会社なので、すこしでも負担を減らせたらと思う、そうすると社会保険には入らないほうがいいのかもしれない、そのほうがぼくを使いやすいのではないか、など考えはぐるぐるまわる。今夜にはおりかえし電話すると言ってある。まだ数時間悩める。どうしたものか。

カリンのような実がごろごろ落ちていた。誰かが集めたようだ。こどもかな。見上げると黄葉した落葉高木があったので、これは多分マルメロ。バラ科。別名セイヨウカリンだけど、その別名には(同名の)別種の樹木がある。これがややこしいところだ。こういうことは他の樹種でもあったはず。茶色い枯葉の絨毯のなかで、黄色い果実が目立っていた。いずれ腐って土に還っていくのだろう。自然のおこないは美しい。きっとなにも無駄にしないからだろう。ぼくには無駄がおおすぎる。「人間は複雑な生き物だから」という。本当だろうか。本当はもっと単純に、素朴に、素直に、生きていけるものなのではないだろうか。ぼくも全身全霊、落葉してみたい。幹と枝だけの、そのままのぼくを、ぼく自身、もう何年も見ていない。いや、そんなときが本当にあったのかどうか、疑わしい。記憶はすぐ嘘をつく。

どうやって生きていくのだろう。わからないまま、三十九歳まで生きてきた。いまだになにもわからない。生きて、恥をかいて、それらを書いて、また生きて。また書いて。また生きて。