木曜荘

ものかきの日記

2022/07/30

今日も雨のような汗をばたばたと落としながら、芝浦で木を剪ってきた。浅草橋の交差点は何度いっても「ん?あ、そうか。まっすぐ行けないのだ」となる。いい加減覚えなさい。

道路の看板には「←本郷」やら「三ノ輪→」など、この頃行きたいと思っているような土地の名がならんで、目に入ってくるとハンドルを切りたくなるが、体力も限界、まっすぐに家に帰って、麦茶を際限なく飲んだ。

風呂に入り、水分を取り続けて、気づけばもう夜である。水分単位で見れば、今日だけでぼくはたぶん三度ほどは循環しているのではないかと思う。朝と今ではまったくの別人なのではないかしら、と。

寝て起きたらまたちがうぼくだろうか。そうなるといい。今日も早く眠ろう。そして明日には、夕方に見送った看板のうちのどこかへ行こう。

 

2022/07/29

今日も「暑かった」から始まるのかこの日記は、と思いつつ、やはりその一言から始まる。暑かったのだから仕方ない。現場は渋谷の、「億を超える」マンションだそうな。「住んでる人は人種がちがう」という声を聞いたが、ぼくには同じヒトに見えた。

汗をぼたぼた落としながら、その炎天下の庭に働いた。誰がどういう目で自分を見ていようが、関心はない。一日稼いで家に帰るだけだ。そして書く力が残っていれば書くだけだ。

今日もまた、寝床に倒れ込む。漱石をすこし読んだが、もう目が見えない。音楽を流して、横になる。体の芯はまだ火照っている。これが夏だ。今年の夏だ。

 

 

2022/07/28

今日はとくに暑かった。日向での作業が長かった。風もあまり吹かず、なかなかの過酷さであった。水分をいったい何リットルとったかわからない。

夕食をたっぷりお腹にいれて、横になる。昨日と今朝、発送したぼくの本は、それぞれいまどこにあるのだろう。東西南北に散らばっていった、ぼくの破片。刺さるといいが。

終日、流れる汗が目の中に入っては流れていった。そのためにもう今は目がかすんでろくに見えない。明日は早起きしなければならないので、もう眠る。

みなさんも暑い中おつかれさまです。おやすみなさい。

2022/07/27 頒布開始

今日も暑かったが、長袖での作業にも慣れてきた。直射でない分、考えようによってはいろいろといいものかもしれない。夜の体内の熱のこもりかたが違うような気もする。とはいえ日中は滝のような汗ではある。

昨日届いた『欅』を昨夜一晩かけて読み直した。日中の熱でとろけた脳みそで、細かいところまで確認できているのやら不安ではあったが、どうやら問題はなさそうだったので、ネット店舗の棚に並べた。

Twitterでも書いたように、表紙の作品は長野順子先生の「続いてゆく」という作品。

ぼくはもう『欅』を書ききることは出来ないだろうと何度も思った。うまく書けない。書きたいことを書きはしたけれど「うまく」書くことはついにできなかった。

それでも、なんとか完結まで筆を投げ棄てることなく進めたのは、この作品のおかげだったといえる。

少女は本を開く。その本はどこから来たのだろう。少女はこの後、その本とどう付き合っていくだろう。その本には一体何が書かれてあるだろう。その本は誰がどういう思いで綴じたのだろう。すべては「続いてゆく」のだ。

ぼくの作品だって、そうに違いない。そう思ったとたん、心が叫んだのだった。うまく書けなくてもいい、それさえきっと続いてゆくのだから。明日の自分かわからない、十年後かもしれない、わからないけれど、それはきっと続いてゆくのだ。いまはそう思っている。

だからこそ、失敗作といってもいい今回の作品でさえ、ぼくは自ら否定することもなく、胸に抱いていくものと思われる。精一杯こめた。うまくは書けなかったが、精一杯やった。結果は、何部売れたかではないし、どれだけ人を感動させたか、でもない。結果というのは、書いたということでしかない。書き終えた、ということが結果なのだとぼくは思う。

とはいえ、お手にとっていただければ、やはりこれ以上のさいわいはないとも思う。発送の準備が済んだむねTwitterで紹介をすると、すぐに数冊お買い上げいただいた。Twitterのこの「早さ」というのはやはりすごいものがあると感じた。

どういった感想がいただけるかはわからない、正直かなり怖れている部分もある。自分で見れば粗だらけであるのだから仕方ない。すべて正面から頂戴しようと思っているので、たくさん感想をいただけると嬉しい。

何冊かはすぐポストへ投函した。その後にご注文いただいた分は明日の朝にでも投函することにする。とにかく、なんともうれしい夜となった。

 

皆様に感謝申し上げます。いつもありがとうございます。

それではおやすみなさい。

 

 

2022/07/26 欅完成

朝から雨の中、ひたすら草刈。ちょっとした問題が発生して、午後は作業ができなくなったが、数時間現場で待機するはめになった。待機中、仲間たちといろいろ話をしたりできたから、まあよしとする。

家に帰ると自分の二冊目の本が届いていた。百冊。これで貯金は完全に底をついた。しばらく財布を開かないように暮らし、せっせと稼いでいかなくては。

今週はなにかと忙しいけれど、週末までには発送できるように準備していけたらと思う。なんとか時間をつくりだそう。

 右の『欅』が新作。というかこれで完結。本来は一冊の予定だったが、もろもろあって二冊になった。

表紙の絵は、どちらも長野順子先生のもの。素敵でせう?

中身はすっかり表紙に負けているけど、どこかの一文でもいいから、誰かに何かを伝えられるといい。

2022/07/25

暑かった。おまけに長袖での作業である。へとへと。

帰ってからもしばらく動けず、体を冷やす。それからやっとのことで事務仕事を片付ける。そうしてもう十九時である。やれやれ。

しばらくはこんな日が続く。仕事のないときに助けてくれた会社だから、できるだけ恩を返していこうと思っている。明日も頑張る。

 

最近、同世代のいろいろな人と話したりして、ふだん人と比べることをしないようにしているぼくだけど、無意識のうちに比べてしまって、少々こころの塞ぐ感じがあった。自分はどうしたって自分でしかないし、いまの自分を嫌いではないし、それだけでいいのだけど、たまに比べてしまうこともまああるだろう、仕方ない。比べることは無意味であることを早く思い出すと良い。

 

暑さのためなのか、頭痛がとれないのでさっさと休む。おやすみなさい。

 

2022/07/24

如何ともし難いと思われるような眠気のなかから、なんとか身をおしあげることができたのは、散髪の予約をしていたからだった。五時に起きてまた眠り、九時の約束になんとか間に合い、散髪してもらった。

それから佐倉の城址公園まで足をのばした。

定期的に、森林や野原のある景色の中に身を置きたくなるのだ。見渡す限り、人の生息する証のまったく見えないような場所に。

最寄りの沿線で、疲れない範囲で、かつ満足できるだけの環境を、と求めると佐倉あたりがちょうどよく、失礼かもしれないがたいして人気もないようなので、人がごった返すということもない、けれど最低限の設備もあるので、熱中症にもならずに済んだ。

公園である以上、園路はあるし、人もいる。しかしそれでも充分にぼくのそうした疲れを取り除いてはくれていると信じている。結局、本当の森、本当の野原には、こんな気軽には行かれないのだから、それで仕方ないとも言える。こういうときに、よく使われる「自然」という言葉の、身勝手な使い方を思うとなんだか可笑しかった。

 

汗をだらだらと垂らしながら、樹木たちのあいだに身をおいて彼らの呼吸を感じ、鷺や鶯、蝉や蟇蛙の声を聞き、土のにおいを嗅ぐ。

かつて城があった、その後には兵たちの屯所となった、そしていまはもうなにもない。人の営為の卑小さ、自然のおおいなるわがままさを感じてすこしだけ笑えた。

人が去り、建物が朽ちても、樹はまだそこに立っている。ぼくはそういうものを書きたいのかもしれない、などと思ったが、どうだろうか。

 

来週からは久しぶりに手伝い現場、3週間ほど続く。

火曜か水曜には『欅』が仕上がって送られてくるらしい。やっと終わった、と感じる。手にとってみたい。そのときぼくは何を感じるのだろうか。ちょっと想像がつかない。