木曜荘

ものかきの日記

2022/04/20

自分の締切

 

次の日曜日まで、時間のすきを狙って可能な限り読みかえす。いくつか誤字脱字の手直しはあるけれど、全体的にみて、言葉や文を直そうという気にはならなかった。修正をすこしして、日曜日に再度印刷してみて、そのまま脱稿でもよいかもしれない。手を加えないほうがよいとき、よいもの、があると思う。原石のままでいいものが。

誕生日のある六月を自分の締切として設定してから、書き終えるまでが早かった。もちろんそれまでにちょこちょこと書いていたし、読み返したり、練ったり、熟成させたりしていたけれど、いつまで、と決めると自然と文章に向き合う時間をつくりやすくなったように思われる。

人生にもしめきりがあって、それが過ぎれば、どんなに書きたいことがあったとしても、もう書くことは多分できないだろう。そしてそのしめきりがいつやってくるのかは、まったく、だれにもわからない。だからぼくは自分自身でちいさな締切をいくつもいくつももうけて、すこしずつでいいから書いていくしかないのだと感じた。書く。

書き続ける。このあとの人生にも、きっといろいろな障壁や泥沼が待っているかもしれないけれど、いまのぼくにはそれらを乗り越えていくだけの勇気が与えられたし、覚悟も整った。この気持を覚えていたい。そうすれば生きていける。

 

 

先生とぼく

 

ぼくには「先生」と呼びたいかたがただひとりいる。学校でも教員のことを先生などと呼ばなかったし、予備校の講師も、職場の先輩も、親方も、みんな先生とは言えなかった。敬意はもっていても、せいぜい「人生の先輩」ていどだった。先生に出会うまでは、ぼくのあたまのなかの薄い辞書のなかで、眠り続けていたただの「言葉」だったのだ、それは。

先生とはじめに出会ったきっかけは、ぼくがネット上をさまよっていたときに見つけた、先生の文章だった。石垣りんさんの詩について、なにかを探していたときだったと思う。ぼくは熱心な読書家ではないけれど、そのとき読み漁った先生の文章について、これまでにまったく感じたことのない感動を覚えた。

ぼくの読書の入り口は三島の「仮面の告白」や太宰の「女生徒」などだった。そのどれにも詩は感じられたが、それは何頁もの堆積のうちの一文節、などであったし、詩人と呼ばれる人たちの詩も読んでいたけれど、石垣りんさん以外の詩は、やはり似たような感想でしかなかった。(この時点でぼくは明石海人も薄田泣菫もしらない)

けれどそこで読んだ先生の文章は、とてつもなくゆたかな詩で溢れていると感じた。余計な装飾のない、質素なのに美しい文。核心をひとつきにする言葉。時そのものを包容するような言葉。隠してももれてしまう智恵の光がそこにあった。膨大な知識を持っていながら、それをひけらかしたりふりまわしたりしない、そういった先生のお人柄もそこににじんでいた。そしてなにより、「大切なこと」はネットには書かない、という姿勢に感激したことを覚えている。

曳舟のル・プチ・パリジャンにて、はじめてお会いしたときも、なんて謙虚な方だろうと感じた。平凡に生きてきたぼくは、先生のどの部分にも似ていないなかったけれど、こういう人になれたらと思ったものだった。それは所作を真似するとか、雰囲気を似せていくとかいう見せかけの形ではなくて、自分の人生をしっかりと生きて、しっかりと見て、聞いて、感じて、そしてそれを文章にあらわしていきたい、そう願ったのだった。それから先生にくっついて、いろいろなことを学んだし、教わった。

ぼくの「楠」も、先生がいなければできなかったと断言できる。ネットに流して終わりではなく、ひとつの形として本にしたい、残したいと思うようになったのも、先生の作品の末席に参加させていただいた経験が大きかったし、先生の本を何度もくりかえし読んだように、ぼくもぼくの文章をくりかえし読んでみたいと思ったからだ。

同じようにネットで知り合ったNさんと先生とぼくとで、「石」という題で作品をもちよって、先生がそれを本にしてくれたときの、あの喜びはまだ温度をたもって胸にある。本を楽しむということも、ぼくは先生から教わったのだった。

 

その先生が、非常にむずかしい大手術をされてから、もうずいぶんお会いできていない。成功されたとはいえ、おおきな手術であったそうだから、その後もよほど苦しい思いをされているのだろうと思うと、いつも胸がつまった。それでもひとりで、プチパリを何度も訪れてきたけれど、行くたびにその不在を感じて寂しかった。オーナーも含め、そこに出入りしている多くの人が、同様の感想を持っていただろうし、オーナーが「おしゃべりしたいね、ありふれた雑談でいいから」とこぼしていたのを、ぼくはぼく自身の言葉のように聞いた。お話をしていて、あれほど穏やかにかつはげしい刺激を受ける体験というものは、やはり先生以外には感じられないのだった。誰とどんな話をしても、そこにはいつもなんらかの学びがあるといえばあるけれど。

 

今朝起きて、Twitterをみてみると、先生からの返信があった。「必ず立ち直ります」とあり、ぼくは胸が震えた。涙がこぼれそうになった。ぼくの病気など比にならないほど大変なのだと想像する。そのなかで、必ず立ち直るという先生の覚悟に触れて、感動した。

ぼくはこれから、もうなにも言い訳にするまい。

書けないなら書けるようになるまでだ。金がないならどんどん稼いで節約して、次の本のために貯めよう。それに恥じない中身をうみだそう。そのためにしっかりと生きよう。感じよう。そう思った。

先生が越えようとしている壁を思う。ぼくはぼくの小さな壁につまずいている場合ではないと感じる。懸命に生きよう。

プチパリでおいしい珈琲を飲みながら、先生のお話をうかがえる日が、ほんとうに、いまから楽しみでならない。