木曜荘

ものかきの日記

2022/04/25

暑い日

 

暑い日がつづく。なんて、いまからそんなこと言ってたら植木屋の夏をのりこえられないのだけど、暑いものはやはり暑い。

今日は終日、芝生をはがすために下を向いて鋤簾をふるっていたので、ぬぐってもぬぐっても流れる汗がずっと目に入ってきて、コンタクトレンズが溺れるかと思った。おかげで帰ってきてから、水泳のあとのような目の疲れにつきまとわれている。陸で、しかも自分の汗で溺れかけるなんて、やれやれだ。

 

 

熱いうちに

 

すこし、文章から離れている。本当は毎日読み返して、少しづつでも直していけたらとも思うのだけど、まだ熱がすこし残っているような気がして、いったん距離をおいている。鉄は熱いうちに打てというけれど、文章はどうなんだろう。ぼくはすこし冷ましたほうがいいように思う。

書き終えたという感情は、作品の仕上がりとは関係ない。いろいろな思いをこめたのだから、感情のないわけはないので、それはいいとして、やはり仕上げはもうすこし冷静になってから、それこそ客観的に読めるようになってから、と思うのだ。

はやく「読める」ようになれるといい。

日曜日の昨日、いつもどおりに起きて自然と書こうとしていて、ああそういえば書き終えたんだっけ、となって、それじゃあ読んでみようかとパラパラと頁をめくってはみたものの、どうも頭に入ってこず、何時間かねばったけれどどうにもならなかった。寝起きだからというのでもなく、頭はしっかり起きていたのだけど。なので、しばらく離れることにした。

 

 

「石」

 

先日ブログに書いたことで思い出した小品をネットに上げた。カクヨムを使ったのは本当に久しぶりだったけど、いくたりかの方に読んでもらえたのは意外で、すこし嬉しかった。「書いて本にする」ことが目的なので、ネットに上げるということはすっかり忘れていたけど、読んでもらえたならラッキーだねいいね、と思った。

といって以前のようにネットを主に使うということは今後ないと思う。カクヨムにしてもその他のサイトにしても、書き手、読者ともに、ぼくの目指すもの、心地よいと思うもの、読みたいと思うものとの隔たりがすさまじいからだ。まったく別の文芸といっていいのではないかとさえ思う。

たとえば、ぼくは異世界転生を書くことは生涯ないと思うし、そういうものを読みたいとも思わない。けれど、それらが悪いものだとはまったく思わない。文の楽しみかたは人それぞれ、なにを面白いと思うかも人それぞれだし、そのほうがおもしろい。ただ趣味嗜好がちがうよね、というだけの話。

いっとき、そういう場所をネット上に探してまわったこともあったけど、ぼくの知る限りでは、そういった場所はなかった。ずいぶん狭いところに自分はいるのだな、と思ったけど、それ以上の感想もない、いいとかわるいとかではないのだ。

でもカクヨムで幾人かの作家さんと出会えたことは、とても大きな収穫だったと今も思っているし、それだけで十分だとも思うのだ。あそこは確かにそうした出会いの場としての恩恵をぼくに与えてくれた。先生の作品もたくさん読めたし。

今後も気が向いたら、小品程度のものになるだろうけど、上げたくなったら上げたりするかもしれない。わからないけど。

 

 

 

明日も芝はがし。とっととご飯を食べて眠ろう。今日も「よりもい」観ながら寝よう。

生育不良の、取り替えられてしまう芝でさえあんなに強い。表面は葉がとぼしく、弱々しく見えるけれど、根は深く広がりたくましく土を掴んでいる。その生命力と戦うのだから、しっかりと準備しなければね。本当に、植物というものは強い。強い。あんな根性が欲しいものだとこころから思う。