木曜荘

ものかきの日記

2022/04/15

Rさんとぼく

人間関係という畑に、どういう種をまくかを決めるのは自分。芽がでるかどうかは、土や水や光が決める。十年ほどまえにまいた種に、いま救われていると感じる。もちろんそれは相手の好意であって、とてもありがたく思っているけれども、自分が種をまくことを怠っていれば、この閑散期に仕事をもとめてさまよっていただろうし、もしかすると借金をするはめに陥ったかもしれない。良い種を、しっかりまけていたのだろうと思うと、過去の自分を褒めてやりたくなる思いでいる。

「森くんがいなければ自分はやめていただろう」という話をしていたことを人づてに聞く。過大評価だとは思うけれど、それでもやはり嬉しい。仕事の激減したいま、店をたたむべきか真剣に悩んでいたところへ、空いた日は全部うちにくればいい、と言ってもらえて、ほんとうに心底安心したし、いくら感謝してもしたりない。

年齢はたしか六年ほど彼が下で出会った頃は二十歳そこそこだった。けれど植木屋としての経歴は彼のほうが長いので、そのころからいまにいたるまで「先輩」として接してきて、いまは「取引先の社長」になるわけだけれど、「自分の社長」としてついていってもいいと思うほど、今の彼はとても見事な経営をしているし、部下からの信頼も非常に篤い。けれどぼくにはこの持病がある以上、社員として安定して働くことはほんとうにむつかしく、そういった面で迷惑をかけたくないので、いまの関係を続けていけたらと思っている。

「社員じゃなくてもいいから、がっちり組んでやっていきましょう」と言ってもらえたときには感動した。若かったあのRさんが、いまではぼくの前をすたすた歩いていってる、ぼくなんかよりよほど立派に働いている、その背中を頼もしく思う、時の流れというものは、ときにこんなにもおもしろいものを見せてくれるのかと、とても愉快に感じられたのだった。

Rさんの父親は、ぼくの植木屋としての最初の師匠だし、Rさんの弟ははじめての後輩だったし、彼の結婚式では乾杯のスピーチをしたり、思えばなかなか濃い関係であったわけだけれど、ぼくが病気を抱えて何社かを渡り歩き、最終的に個人でやることに解決の緒を見出し独立するまでのあいだ、すこし疎遠になっていた。その間に彼は会社をここまで形にしてしまったのだから、驚いた。ぼくはぼくでその間に本を一冊つくれたわけだけど、植木屋の経歴としてはだいぶ差が広がったなと感じる。もともと先輩なので当たり前かもしれないけれど。

 

労働と詩

でもそうして働いているうちに、ひとりで働いてきたこの数年間をよい部分もわるい部分もふりかえり確認してみる時間が増えた。どういう道を通ってきたのかをふりかって見てみるような感じだ。すると、植木屋としての時間を極力けずり、「作家」でいられる時間をすこしでも多くつくろうとしていたのがわかった。けれど、ぼくの書くものの性質上、労働というものはきっと切り離せるものではないし、その労働の時間をけずることによって、文章の代謝や発露や熟成などを、あるいは妨げてしまっていたのかもしれない、と思い当たった。

現に今年に入ってからの二ヶ月などは、信じられないほど仕事がすくなくなり、家にいる時間が多すぎるほどあったわけだけれど、その間は生活の不安に苛まれ、気が気でなく、書くことも読むこともほとんどできずにいた。職人でも作家でもない時間ばかりが増殖したのだ。仕事がなければその分書けるというのは、ぼくに限っていえばありえないことだと身をもって知った。労働はぼくの言葉の源泉のひとつであることはまちがないと思う。

生業の手を抜いて、作家の時間を増やすという愚かな試みを「失敗」として受け止めたので、これからは生業にも以前のように全力で取り組みながら、ひねりだした時間で「仕事」として渾身書いていきたいと思っている。

これは自分の書いている「楠」「欅」という短編集にも影響し、そもそも主人公が二人いるということもそういうことからなのだけれど、とくに生業を担当する「凛」の動きに変化が生じた。というかその存在意義がうきぼりになってきた。彼の言葉に、ほんとうの重量をもたせることができるようになったという意味においても、この数年間のひとりきりの世界も、ここ数ヶ月の閑古鳥鳴く苦しみも、ぼくのなかで大きな意味をもって結実した。これを文章にしっかりと昇華させたい。

 

 

今日も通勤一時間半のくせで五時に起きたが、雨で現場が流れたので、今回の工事のことを手帳にまとめたり、「欅」を読み返してみたり、書類を整えたり、道具の手入れをしたりして、充実した朝を過ごしている。労働と生活と創作は、根をひとつにしているのだろうと感じる。ぼくにとっては。

昼からル・プチ・パリジャンの展示を見に行こうと思っているのだけれど、まだまだ時間が余っているので、こうして日記を書くことにした。

先月までの仕事のないぼくは、こうした時間をしっかり過ごせず、ただ鬱屈として布団の中で膨らむ不安を押し殺して寝続けていた。仕事があるというだけで、生活はこうも変わるのかと、「あたりまえ」のことなのかもしれないけれど、あらためて驚いたし、いまを感謝とともに安心して過ごせることがなにより嬉しい。

昼までまだ時間がある。「欅」をすこしづつ進めようか。