木曜荘

ものかきの日記

本つくりたい人

一週間の疲れをひきずった体、すこしだけ遅く起きる。やることは決まっている。日曜の朝から文章に向き合えるように、土曜の夜まで油断なく働く、この習慣になれてきていて心地いい。

 

 

推敲の出口

 

推敲の段階で先生に読んでほしいと思うときもあるし、いやそれでは意味ないだろと思うときもある。執筆はさみしい。できあがれば、読んでもらえる、それはうれしい。書くことがたのしくもあるのは、そのためだろうか。さみしいし、くるしいけど、それ以上に読んでもらいたいし、自分でも読んでみたい、だから書くのかもしれない。わからないけど、なんとなく。

 

とにかく、ぼくの創作は、書いて終わりではなく、データではなく本にすることが目的になった。本にしたあとではもう直せないということは前作「楠」でよくよく体験できたし、やはり推敲は慎重になる。でもそのために文章の勢いや、青臭さや、泥っぽさを、きれいに均してしまってはいけないような気もする。感情のうねりというか、そういうものを。

きれいな、整った文章を好ましいとぼくは感じるけれど、同時に、どうにも収拾のつかないこじらせた感情やその爆発というような、読みにくい文章のなかにも好きなものは多い。「楠」は一部をのぞき前者を目指したし、「欅」でもそうなる予定だったけど、後者によりつつある。手癖というか、性格というか、ぼくの持ってるものがそうさせるのだろうと思う。どっちがいいとかの話ではないけれど、なんだか正体不明のため息がでる。

せっかく読んでもらえるのだから、「自分」というものにこだわりたい思いもある。オリジナリティなんてよくわからない言葉を使う気はないけれど、あくまでも「自分」を描くことが今回の主題だし、それをこそ伝えたいのだし、そのためには少々いびつでも「本当にちかい」形が望ましいのではないか、とかなんとか。

とりあえず、いまのこの焦りを抑えて、もっと遠くから「欅」を見れるようになりたい。焦る必要はないのだし。でも、完成を急ぎたい、早く読んでほしい、というあたらしい感情は大事にしたい。だから少しづつやっていくしかないんだろうな、結局。

 

 

詞華集

 

はかどらない推敲のあいまあいまに、詞華集のことを夢想することで、なんとか精神に潤いを保っている。

ひたすら自分のことを書いてきた「楠」「欅」、次は他の作家さんたちと一緒に本をつくりたい。そういうことはこれまでやったことがないし、どうやって進めればいいかもまるでわからないし、恥ずかしくてなかなか声かけられないし(断られたら泣いちゃうかもだし)、誘いたい作家さんそれぞれの人生でやはりいろいろあって大変そうだなぁと思うし、そもそも資金もまだそろってないし、形もなんとなくしか描けてない、こんな状況で誘うのは失礼かもだし、と頭をぐるぐる悩ませているわけだけど、それでもじつは楽しんでいる。まだ夢想の段階なので。無責任におもいえがいては、ふふふと笑っているのだ。

 

 

 

いまはこんな感じで、まだ誰も招待できていないディスコードで、ひとり壁打ちをしながら、あれこれ考えているところ。

ずぼらで、IT系能力五歳児程度のぼくが、こんなこと形にできるのかどうか、とても不安だけど、でもやってみたい。あの人や、あの人や、あの人たちの作品と、ぼくの作品とを一冊に綴じられたらな、それはとてもたのしいだろうな、とつよく思うのだ。

まだしばらくは壁打ちが続くだろうけど、資金の貯まっていく(貯まるのか?)のと並行して、お一人ずつ声をかけられたらと思う。フラレてもいいように、メンタル最強に調子のいいときを選んでやろうね、うん、そうしようね。

とまぁこんな具合に、頭の中、本のことばっかりなこのごろで、おかげで仕事のモチベーションもいい塩梅で保ててる。なにしろ、作品以上に時間を要するのが資金確保だと思うので。節約して、たくさん稼がないとね。がんばります。