木曜荘

ものかきの日記

2022/09/21

今日から(本当は昨日から)毎年恒例のお庭手入れお手伝い。独立前にさんざんお世話になった会社の親方の現場で、これはどんなに忙しくても断らない。とはいえ、今年の忙しさもかなりのものなので、空けられたのは一週間だけだったのだが、雨が続いていてなかなか厳しい。うまく終わらせられるといいが。

三十代最後の夏が終わった。今朝は長袖の作業着でも寒いと感じた。もう秋ということでよさそうだ。後悔しないように生きよう、とそればかり思っている。このまま植木屋でいていいのか、そういうことも去来するわけだ、生活のすべてにいま疑問符を投げかけているのだから、片っ端から。

答えなど出ないだろうけれど、問いはあるべきだと思う。あるべきところには。答えが出ないなら出ないで、問い続ければいいだけだ。そのうちに飽きて落ち着くところに落ち着いたのなら、それが答えの代わりだ。惰性ともいえるかもしれないが、それも受け入れられればそれはそれでいいだろう。

むずむずと書きたさが増してきている日々。しばらく原稿を読みもしない。いま読んでみたらどうだろうか。そう思いつつ毎日薬で眠ることを選ぶ。しばらくはこうして眠っていたい。

会いたい人がいる生活というものは、かなしくもさいわいなことだとこの頃おもう。会えるときがくるまで自分を磨く。これもまた生活に彩りをくれる。そこには切なさもすこし。香辛料のようにぴりりと痛い。