木曜荘

ものかきの日記

2022/12/19

今日は渋谷。暗いうちから暗くなるまで。

サルスベリの高木などの剪定を仲間がやっているうちに、ぼくはこいつの相手。

スティパという細くてさらさらした地被。エンジェルヘアーとも呼ばれるらしい。「スティパ」も、「テヌイッシマ」も、その言葉の意味はわからない。ので、なかなか覚えられない。このきれいな髪の毛のような草を、冬越のために地際数センチで刈り込む。

写真では白髪まじりで草臥れて見えるけれど、夏にはじつに美しい髪の毛を風になびかせている。

敷地内に点在するスティパの刈込みを終わらせて、剪定部隊に合流。掃除をする。造園業界の最近の流行りである「自然樹形」とやらを求められる現場。いままで良いとされて、それを覚えるのに必死だったやりかたは、過去のものになりつつある。いまでは「手が入っていないように見える」形が望まれているらしい。けれど、やればやるほど思う。自然の樹木の樹形とは程遠い。どこまでいっても自然「風」樹形だ。でもそれが求められるのなら仕方ない。覚えていくしかない…。仕上がりは実際、美しくはあるけれど、管理の面ではかなり手間を食う印象。

それからもうひとつの変化として、植えられる木がはじめから大きくなっている。2、3mの植木を植えて、そこで年々育てていくのではなく、場合によっては10数mの高木をはじめから植えることさえある。待てないものだろうか。「完成」まで見守るような余裕はなく、いますぐに完成形を欲するようになってきていることに、すこし不快さを覚える。仕事なので関係なく、言われたことをやるまでなのだろうけど。なんだか時代を感じませんか…。

大きな樹というのは、それだけ老いているということでもある。老いた樹は移植に適さないというのは、昔から伝わってきていること。それを鞭打って、「完成形」のために無理やり移植する、そして枯れる。いや、枯らす。そして枯木補償で2、3mの同樹種が植えられる。そうしたことを眺めながら、変なの、と思う。

帰って二日ぶりに樹木医のお勉強。ちょっとずつ進めている。一日にできることはちいさな一歩にしかならないが、毎日続けると遠くまでいける。ぼくは前進しつづけたいとこの頃思うようになってきた。仕事でも、文筆でも。

年内は生活の変化に慣らすので手一杯だろうけれど、その隙間に少しづつ、あれやこれやを進めていきたい。