木曜荘

ものかきの日記

通夜

昨日一昨日は仕事がかなり捗ったので今日は安心して告別式に参列できる。

昨夜は素面でいたくなく、麦酒を何杯か飲んだけれど酔えないし、健康的につかれた体に酒精がまわって不快だしと、いいことはなかった。それでも飲まずにはいられないという気分だったのでしかたない。やはりぼくの人生に酒は必要ないと感じた。

従兄は酒が好きで偏食家で、それが命を縮めたのではなかろうかと、親戚たちは口々に言う。何が当たっているかは誰にもわからない。それでも従姉たちは口を揃えて、親より先に死んではいけない、自分たちは絶対に親より長生きしたい、と言っていた。長男の急死を目の前にして、くしゃくしゃになってしまった車椅子の叔父を見て、ぼくだってそう思った。親よりは長生きしなくてはいけない。

仕事が終わり帰宅し風呂に入り礼服に着替え、やっと会場についた頃には焼香もひととおりすんでおり、啜り泣く声や鼻音がしずかに会場にみちていた。多くの友人や同僚が列をなし、みなそれぞれ従兄と面会して、涙をこぼしていた。焼香をしながら、遺影をみつめる。よく撮れた写真だった。大好きな祖母と一緒に撮った写真だった。その見慣れたまるい笑顔に胸をうたれた。

それから対面する。そこには肉体だったものはあったけれど、もうすでに従兄はいないのだった。抜けてしまっている。からっぽの蛹だ。従兄はもうすでに羽ばたいていってしまった。その不在を感じ、涙が堰を切った。胸の内で、ばかやろう、おれをのこして、なんでどうして、やすらかに、お疲れさま、ばかやろう、と何色もの感情がないまぜになって困惑しながら、ただ嗚咽をこらえることしかできなかった。

女系のたくましいかしましい女どもの集まりのたびに、ぼくらはいつも「五月蝿いね」などといいあって一緒にその集まりを眺めていた。もうそれもかなわないのだ。従姉たちは泣きつかれた顔で、懸命に明るく振る舞っていた。それは自分たちのためでもあったろう。豪放磊落でいつもひょうひょうとしていた変わり者の叔父は、車椅子にちょこんと座り、息子の死に顔も直視できずに、ずっと泣いていたらしい。すっかり小さくなってしまった。ぼくは全身の力がぬけて、立っていることすらままならなかった。

今日は彼が骨になる。四十五歳。もうかえってはこない。どんな四十五年だったか、それを知るものはどこにもいなくなる。遺灰のなかに記憶はあるだろうか。立ち上る煙には。燃え残った骨には。のこされた遺品には。のこされたぼくたちにのみ、記憶の片鱗がのこる。でもそれは彼の記憶ではない。従兄と過ごした時間にはひとつとして厭な思い出などない。親戚のほとんどの者がそう感じているだろう。ただ彼の、いつまでもあどけないあの笑顔だけが焼きついている。

今日は泣かず、飲まず、従姉や叔父叔母たちを支える側に回れるといいが、骨をまえに正気を保てるかはあやしい。