木曜荘

ものかきの日記

五月のこと

六月になってしまった。なんだか早い。週に一日の休日を確保することが困難になってきた。忙しいのはありがたいことだけれど、顧客をひと月も待たせてしまうことが申し訳なく、若干の圧力になってこころにかさばっている。

五月は出費の月だった。税理士、車検、保険の更新、労災の更新、香典、文フリ、ホームレスになりかけた友人への援助…などなど。本来なら「欅」を入稿している予定だったが、そのための資金も尽きた。一度崩れかけた生活は、なかなか立て直せないが、こつこつとやっていくしかない。

この時期に出費のかさなることは事前からわかっていたことだ。毎年そのために年末に大きく稼ぐのだったが、なんどか書いたように、昨年はそれがまったくできなかった。悔しいが、ぼくに人を見る目がなかったためなので、仕方ない。働けど働けど、といった気分だ。会社勤めをして、収入を安定させたい気持ちもある。ずっと葛藤している。

 

それでも五月はたのしい時間もあった。

味戸ケイコ先生の個展ですばらしい「光」に触れたし、すこしの時間だけれど味戸先生のお話をうかがうこともできた。名刺代わりにちゃっかり「楠」をお渡しすることもできたし。

それから足立生物園で蝶たちとふれあった。現世での疲れがぬぐわれる時間だった。あたたかい温室のなかで軽やかに舞う蝶たち、美しかった。吸蜜にあつまる蝶たちをみて、詞華集への熱が昂進された。

従兄とのかなしい別れはあったけれど、親戚たちの元気な姿を確認できた。なかでも、まだ襁褓もとれない従姪の愛くるしさにはみなも救われたと思う。乳母車と車椅子のならんだ姿が印象的で、ときの経過を感じさせられた。

プチパリにも三度ほど遊びに行けたか。あの場所で過ごす時間は、やはりなにものにもかえがたい。すべてのしがらみやら立場やら責任やらをなげうって、ぼく個人としていられる時間・空間なのだ。ぼくに戻れると言おうか、そういう場所だ、あそこは。

先生がいろいろな場所をおとずれているようで、写真をSNSにあげてくださるようになったこともうれしい。味戸ケイコ先生の個展ではおそらく数分のすれちがいもあった。まだお茶には行けていないけれど、楽しみに待ちながら、あげられた写真などを楽しませてもらっている。

それから文フリでは、いくたりかの作家さんとの出会いもあった。SNSで知り合った方とお会いすることもできたし、あの場ではじめて見知った作家さん・作品もあった。時間はかかっても、やはりできるだけ多くの作品を立ち読みさせてもらうことが、あのお祭りの楽しみかたかもしれないと思った。絵とはちがって読まなければわからないし、装幀だけで判断するのもおかしいことで。なかでもすばらしい手製本とであって、ぼくの詞華集の構想が根幹から揺れた。不器用な自分にあれだけのものが作れるとも思えないけれど、すこし学んでみようかとも思っている。

あとはGWなども関係なくひたすらに現場をこなしていた。

 

六月もありがたいことにすでに予定がうまり、休みをしっかりとれるかどうかもあやしい。けれど本のためにもふんばって稼ぎたいところ。

昨日は雨のなか広い団地の草刈。今日はマンションの植栽管理。この時期の植物のぼうぼうと伸びる生命力に、おわれるように仕事をしている。昨夜も二十時すぎにはもう眠っていたようだ。就寝前の読書の時間もろくにとれないほど疲労がたまっている(笑)。がんばる。