木曜荘

ものかきの日記

2022/08/01

炎天下にぼろぼろの現場である。

ふたり、コロナの隔離期間をおえて現場に出てきたが、そのうちのひとりは昼に熱を発し帰ってしまった。

ひとりは午後の凶暴な暑気に水分をうばわれて筋肉をいましめられ動けなくなった。

ひとりは新たに陽性反応をえて現場に来れなくなった。

元気なのは最年長のぼくと、職長のもうひとりだけであった。なんともぼろぼろの現場ではないか。

それでも外で働いているのだ、現場仕事の人間というものは。だからなんだと言うつもりは一切ないが、そうして外で働いている者もいるのだということは伝えていきたいものだ。

夏は暑く、冬は寒い?ちがう。夏は熱く、冬は凍るのだ。それが外仕事。血が沸騰し、あるいは凍結する。だから何と言うつもりはない。それだけのことだ。

 

空調服は革命だというひとがある。現場でもみんな着ている。ぼくはあれが好きじゃない。まずぶーんという音が始終鳴っていてうるさいし、バッテリーも邪魔そうだし、上半身を空気で膨らませていてみばえが滑稽だし、なにより高価でぼくには手が出せないのだ。買えないから嫌いなのだ。それに、これが最大の理由だが、ぼくは夏は暑いものだと思っているし、すばらしい強敵だと認めている。そいつと毎年闘う自分がきらいではないのだ。闘えなくなるときはやがてくることだろう。その日までは闘いたい。だからその日までは空調服を買うことはない(金が入っても)(たぶん)(明日にも買うかも)(暑すぎる)。

涼しい部屋で寝転んで本を読む。さいわい。それも昼のおびただしい汗があってのこと。働かないとぼくは読めなくなるし、書けなくなる。だからこれでいい。倒れないようにだけは、気をつけながら。

 

先生から『欅』のご感想をいただいた。大事なお守りがまたひとつふえたような感じ。書いてよかった。

ぼくはこの『欅』を堂々たる失敗作と言って憚るつもりはないけれど、それでも愛着は持っている。そもそもぼく自身が失敗作であるわけだし、出来不出来だけがすべてではあるまい。好きなものは好きなのだから仕方ない。

書き終えたことにまず意味があるということは、先日も書いたかもしれない。次に進めるのだ。ぼくは進んでいきたい。まだまだ、どんどん、この道をゆきたい。これからなにを書いてゆくのかはまったくわからないし、なにを目指す予定もないけれど、ぶらりぶらりと、命をかけて、歩いていきたい道なんだ、この道は。