木曜荘

ものかきの日記

2022/09/04 おかたづけ

はかったように二時間おきに目が覚める。また眠る、そのたびに違う夢を見た。どれもたのしい夢ばかりであった。荒唐無稽で破茶滅茶な夢ばかり。昨日買っておいたおにぎりをほおばり、珈琲を片手にPCを起こす、この「現実」だって、一幕の夢のようなものだろう。

煙草の火をプカプカと熾しながら、昨日のことをふりかえる。昨日は、草刈りと伐採をしてきた。枯れたヒバを二本、大きなモミジ、それからサルスベリ、空家になってしまった庭で大きくなりすぎた木々は、一本ずつ伐り倒される。仕方ないことではあるけれど、やはり寂しい。剪定とちがって来年にはお金にならなくなるから、ということではない、それももちろんあるけれど、やはり生きている木を伐ってしまうことが寂しい。

 

そのあと、往復二時間のゴミ処分。土曜ということもあってか、車の出も多く、事故もしていたため、道が大変混雑した。窓を閉めてもさほど暑くなかったので、秋だなと思いつつ、友人のYou Tubeを聴きながら帰路を走った。こみあった国道で、すこし走っては止まりを繰り返した。おかげで動画をゆっくりと聴くことができた。

少し前から自分がそうしたいと思っていたことがあり、それをかなりつよく後押ししてくれる内容が話されていたので、帰ってからすぐに実行に移した。ぼくは南方熊楠のような環境で過ごしていた。これは冗談だが、実際かなり似たような巣である。

ぼくの環境は、眠るのと、読むのと、書くのとがごちゃまぜになっており、寝そべって読書、寝そべって執筆ということがよくあった。あまりいいものではない。体への負担も大きいし、なにより精神的にとてもよくない。変えようと思いつつ、そのままにしていた。それを動画を聴いたときに、ああ、こういうふうに変えればいいんだと明瞭に気付かされた。(ありがとう)

家にあるものだけで、部屋の寝室の隅に読書だけのスペースを作って、枕もとから本を一掃した。死にかけていた本棚をひとつ持ってきて、そこにいま身近に置いておきたい本だけを選んで無造作におしこんだ(今日にもちゃんと並べる)。

それから枕元の文机から、PCとポメラ以外をすべてとりのぞき、あるいは引き出しにしまった。この引き出しも『蕾』に関わるもの以外はすべて整理する(それも今日やる予定)。

そして動画で紹介していたとおりの、寝るだけの場所ができあがった。読むだけの場所をつくり、書くだけの場所をつくり、寝るだけの場所がしあがった。これは精神衛生にとてつもなくおおきなものをもたらした。整理整頓のきれいな環境は気持ちいいという単純なことを本当に久しぶりに感じたのだった。

結婚前のぼくは、部屋の掃除が好きだったし、物も増やさないようにしていたし、なにより模様替えが好きだった。自分というものは変わっていくものだから、そのときに最適な部屋の形というものがあると思ってそうしていた。その感覚を思い出した。

(いちおう妻にいちいち相談しながらおこなった)昨日の模様替えは、いまのぼくが大切にしていることや、志向している先がはっきりとわかるようになった。

猫がさっそく気に入って使って(占領して)くれたので、背もたれには彼らの愛用のクッション(彼らの匂いつき)をかけておいた。人も猫も、そこでのんびり過ごすのがいい。寝転がってする読書と、座ってする読書とでは、文字の入ってきかたがまるでちがう。よく読めるし、妙な体勢にならないのも新鮮でうれしい。喫茶店で読むときのような集中力も感じた。とてもよい。

それから執筆のための文机。ここには本を置かないことにした。辞書など参考にしたいときなどには、上の本棚から持ってくるようにする。

読み終わった本、しばらく手をつけない予定の本は、今日これから、ぜんぶ二階の書斎にもっていく。それらを収めるために、読まなくなった漫画なども今日できれば処分する、すくなくともその準備はしておく。

ひとつ片すとその波紋があちこちに広がる。精神の動きを観察しながら、ああこれはとても大切なことを教わったな、と感じたので、動画を↓に貼っておく。ぜひご覧あれ。

さて、片付けてくる。