木曜荘

ものかきの日記

2022/11/04

今日は伐採。施主のおばあさまが「嫁に来たときからあった」というナツミカンの木。大小ふたつのチェンソーを使って細切れにして処分する。むなしさもあるし、なにより残念に思う。ここまで育つのにどれほどの時間と水分と日光を費やしてきたか、などと考えても詮無いことだが、思わずにはいられない。

発生材の処分先は、ぼくはリサイクルを選んでいるから、この木もチップになって、あるいは合成板にでもなってかして、また次の生を得るのだろう、と自分を慰めてみてもむなしい。死は死だ。再生はまた別の「命」だろう。筆者と書籍のようなものか。あの庭の隅にもりもりと育まれたナツミカンの一本の命は今日死んだ。いや、根は残してあるから、それはさらに「地上部の生」だったとも言えるか。なんでもいいと言われればそれまでだが。

積んで棄ててみればわずか300kgの「生」、しかしそれ以上の生だとも感じる。唸るチェンソー、額から溢れる汗、体中にまとわりついた酸っぱいにおい。

処分して、空になった荷台に明日つかう道具をのせる。一日、一日と、廃業へ歩を進めている。夕方にはまた例の取引先とすこしやりとりをする。ものすごいストレスを感じる。マラソンの最後の数十メートルをダッシュで走り抜けたくなるタイプのぼくだ、それも仕方ないのだが、いやしかしそれでもしっかりときれいに終わらせたいとは思う。

読まず書かずは今日もなお更新されている。なかなかそういう気になれないでいるのだ。これもまた仕方ない、焦らせることもないのだろうけど、やはりもどかしい。

はやく書ける自分に戻りたい。ぼくの魂の本拠地はやはりそこにある。