木曜荘

ものかきの日記

ひとりの告別式

死んでからも四十九日の旅があるのかと思うと、そう考えてみただけで草臥れてしまう。

真っ白い脚絆に手甲、添えられた孫杖。棺桶におさめられた祖母の痩せほそった体を見下ろしていたぼくも、いつか必ず死ぬ。死をおそろしく感じるのは、たいてい生き生きと暮らしているふとした瞬間に思うもので、そのときの感情はきっと怖いというより「寂しい」感じなのだろうと思う。この愛すべき日々に終りが来る、そして誰にももう会えなくなるのだ。好きな歌も聴けなくなり、好きな本も読めなくなり、好きなものも食べられなくなり、好きなひとにも会えなくなる、そういう寂しさ。そうでないときに思う死は、やはり救いであり、生からの解放であり、たったひとつの解決方法だと感じるのだ。祖母の安らかな死に顔をみて、母は「寂しい」と声をかけ、姉は「悲しい」と泣きわめいた、ぼくは、お疲れ様、ゆっくり休んでくださいと、胸の内でつぶやいて掌をあわせた。

坊主の読経、焼香のにおい、何度も袖をとおした礼服、死のにおいのしみこんだこの黒い上下を着て、タイの色だけをかえてあるときは結婚式にあるときは法要に赴くことをおかしくも感じながら、コロナ禍ですっかりたるんでしまった腹を見ていた。読経はつづく。ぼくにとっては意味のない発声の連続。死は死だ。飾る必要なんてないじゃないか、そんなことを考えながら生前の祖母をおもった、そして死後の祖母を。一生こうして一緒に生きていける、そういう存在に祖母はなったのだ、それだけのことじゃないか。

生きている限り苦しみはつづく。どんなに草臥れても、弱音を吐いても、怒りくるっても明日はくる。死という選択肢は毎日、どんなときでも傍らにある。それを選ばない限り、あるいはそれに選ばれない限り、明日はくる。明日がくるということの喜び、それを感じられる日が、年々減っていると感じる。いまは書きたいものと、会いたい人がわずかにぼくの生を支えているし、意味を与えてくれているけれど、疲れ切っていることは確かだ。いつ、どこで、その選択をしてしまうか、ぼくにはわからない。

書きたいものがあること、これが救いであり、ただひとつの幸いであるのかもしれない。

 

生を終えたのだね、次はどこへ行くとか、何をするとか、そんなことはもう考える必要もないのだね、税金に頭を悩ませたり、そのためにお金を稼いだり、緊急事態宣言に胸を苦しめられることも、病気になる心配をしたり、未来への不安をかかえることも、もうないのだね、お疲れ様だったね、もうなにもしなくていいのだね。

それはとてもうらやましいことに思える、とくに、まっすぐに生を生きて、そして病気でも怪我でもなく、老衰で眠るように死んだあなた、おばあちゃんのことを思うと、ほんとうにとてもうらやましくなる。ぼくもそうして生きられたら。

 

ぼくはどのみち、なりたい自分には決してなれない。でも書きたいものは書けるかもしれない。かもしれないという可能性だけあれば、書いていける。ほんとうにそれだけのために生きている。仕事は執筆のためにしているし、自由になる金は本などに費やしている。高級車なんていらないし、豪邸もいらない、仕事で使う軽トラで充分だし、雨漏りのするこの古い家で充分だ、どれも向こうには持っていかれないのだし。ぼくはただこちらがわに、ひとつの本を置いて、手ぶらで向こう岸へ渡りたい。

 

書きたいものがある、死ぬまでのわずかな間、これだけがぼくの救いだ。

 

骨をひろったあとの精進落しの席、残されたものたちの、死者が招くささやかな生者の饗宴のなかで、そう考えていた。そこにいて、立ったりあるきまわったり座ったり、酒をのみ、刺し身を喰い、笑ったり泣いたりする人々が、みんな骸骨に見えた。

生は不透明でゆらゆらゆれるようにつづいてゆく、死がそれに答えを形を意味をやっと与えてくれる。死があって生がやっとうまれる。とかなんとか、いろいろ考えたり思ったりしたけれど、最後にはいつもどおり、どうでもよくなってほうりなげた。

 

書きたい。ぼくはただ書いていきたい。それ以外、なにも要らない。

 

おばあちゃん今までありがとう。おやすみなさい。