木曜荘

ものかきの日記

2022/06/15 製本について

昨日一昨日は手伝い現場で、終日草刈。自分の仕事と半々くらいで手伝いに行くと、元請けのある現場の煩わしさが浮き彫りになる。とてもやかましく感じる。仕事をもってくる元請けと、じっさいそれを形にする下請けと、対等であってほしいと思うけれど、そうは思わない元請けもけっこういるよね、という話。立場なんていうくだらないもののために人間が対等につきあえなくなるの、本当につまらないことだと思っている。誰もなにも得しない。

 

詞華集について、ひとつ進捗。

印刷製本について、これまで自著をつくってもらった印刷屋さんから、文フリで知り合った印刷製本屋さんにのりかえることにした。サイズもB5からB 6に変更。

『楠』の延長線上を行こうという当初の企みは消えた。文フリでとてもよい手製本を見つけてしまったおかげだ。その製本の具合をとても気に入ってしまい、けれどかかる費用などの面からいずれにも決めかねていたが、昨日ふと決めることができた。やっぱりいいと思うものにしたい、という単純な答えにたどりついたのだ。

部数をそんなに多くするつもりはないので、だったら一冊あたりのコストが上がっても、本当にいいと思うほうを選ぶほうがいいだろう。100部以上刷るのだったらこれまでの印刷屋さんでもよかったかもしれないけれど、そちらだとお願いできることの範囲もすこし狭くなるのだった。少部数なら、あの手製本がいい。そうずっと思っていたので、当然の帰結といえる。

もともと原価を割るのは想定内だし、儲けはでなくていいので、かけれる範囲で必要なお金は惜しみなくかけたい。今回はみなさん原稿料なしでご参加くださったので、その分を製本にまわせるというもの。そして一冊ずつ献呈するのだから、やはりそこはいいものを、と思う。あたりまえの道筋であたりまえの答えにたどりついた今から思うと、なにを悩んでいたのだろうと不思議になるのだが、こういうことってぼくの人生にはけっこうある。なんだろう、優柔不断というやつでせうか。先日印刷屋さんと打ち合わせしたときに打診した結果ともいえるのだけど。

安くあげようと思えば、いまの時代、いくらでも安く本は作れる。でも今回も安上がりではすまない理由があった。それはぼくの大好きな作家さんたちの作品を載せる、という一点だ。いい作品にはいい製本を、これもまた単純な考えだけど、これは覆せないよなやはり、となった。これでなにひとつ妥協のない準備が整った。と思う。あとは進んでいく中で、なにがどの程度かわってゆくか、だけれど、そればかりは進んでみないとわからない。ということで、これで進みます。

 

今日は雨なので手伝い現場は中止に。なので雨天でもできる自分の現場に変更。休みもろくにとれないほど予定が詰まっているので、雨だからといってそうですかと休んでもいられない。7月もみっちり埋まってきたし、現時点で8月中旬まで仕事がある。ありがたいことで、ここで一気に次の製本代まで稼いでしまおうと思っている。

忙しい中でも、こうして本の話がすこし進んだりするのは、こころに潤いを与えてくれる。どんな作品が集まるだろうか、どんな一冊になるだろうか。それだけが生きがいになっている。